宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
永州命下忠宣欣然而往每諸子怨章惇忠宣必怒止之江行赴貶所舟覆扶忠宣出衣盡濕頋語子曰此豈章惇為之哉至永州公之諸子聞韓維少師謫均州其子吿惇以少師執政日與司馬公議論多不合得免行欲以忠宣與司馬公議役法不同為言求歸白公公曰吾用君實薦以至宰相同朝論事不合即可汝輩以為今日之言不可也有愧而生者不若無愧而死諸子遂止
新字:永州命下忠宣欣然而往毎諸子怨章惇忠宣必怒止之江行赴貶所舟覆扶忠宣出衣尽湿頋語子曰此豈章惇為之哉至永州公之諸子聞韓維少師謫均州其子吿惇以少師執政日与司馬公議論多不合得免行欲以忠宣与司馬公議役法不同為言求帰白公公曰吾用君実薦以至宰相同朝論事不合即可汝輩以為今日之言不可也有愧而生者不若無愧而死諸子遂止
書き下し
永州の命下る。忠宣欣然として往く。諸子章惇を怨む毎に忠宣必ず怒りて之を止む。江を行きて貶所に赴くに舟覆る。忠宣を扶けて出だすに衣盡く濕う。顧みて子に語りて曰く、此れ豈に章惇の之を爲さんやと。永州に至る。公の諸子、韓維少師の均州に謫せられしとき其の子惇に少師の執政の日司馬公と議論多く合わずと吿げて行を免るるを得たるを聞く。忠宣の司馬公と役法を議して同じからざるを以て言と爲し歸るを求めんと欲す。公に白す。公曰く、吾は君實の薦を用いて以て宰相に至る。同朝に事を論じて合わざるは即ち可なり。汝輩以て今日の言と爲すは不可なり。愧じ有りて生きんよりは愧じ無くして死するに若かずと。諸子遂に止む。
現代語訳
永州への命が下った。范純仁は喜んだ様子で出発した。子らが章惇を怨むたびに、范純仁は必ず怒ってこれを止めた。川を下って流刑地に赴く途中、舟が転覆した。范純仁を助け出したが、衣はすっかり濡れた。振り返って子に語って言った。「これがまさか章惇のしわざであろうか」。永州に着いた。公の子らは、韓維が均州に流されたとき、その子が章惇に、父が執政であった日々に司馬光と議論が多く合わなかったと告げて、赴くのを免れたと聞いた。そこで、范純仁が司馬光と役法を議して同じでなかったことを持ち出して、帰任を求めようとした。それを公に申し上げた。公は言った。「私は君実の推挙によって宰相にまで至った。同じ朝廷で事を論じて意見が合わないのはよい。おまえたちがそれを今日の口実にするのは、いけない。恥じるところがあって生きるより、恥じることなく死ぬほうがよい」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁公隨に在ること幾ど一年。州事は毫髪も必ず親らす。客至れば談笑終日、倦色無し。公素より目疾に苦しみ、忽ち全く其の明を失う。因りて上表して致仕を乞う。章惇堂吏を戒めて上るを得ざらしむ。蓋し公の復た㫖有り陳終して上意を移すを懼るるなり。遂に公を貶して永州に安置す。命下る。公怡然として道に就く。切に子弟を戒めて小しも不平の意有るを得ざらしめて曰く、是とせられずして悶ゆること無し。爾曹之を勉めよと。人或いは公を名に近しと謂う。公聞きて歎じて曰く、七十の年、兩目倶に喪す。萬里の行、豈に其れ欲せんや。但だ區區たる君を愛するの心、自ら已む能わず。人若し名を好むの嫌を避けば則ち善を爲すの路無からんと。
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁哲宗親政す。呂汲公殿中侍御史楊畏を遷して諫議大夫と爲さんと欲す。忠宣曰く、天子の諫官は當に正人を用うべし。楊畏は用う可からずと。汲公方に畏を約して助と爲さんとす。忠宣に謂いて曰く、豈に楊畏の嘗て公を言えるを以てかと。忠宣曰く、知らざるなりと。蓋し上初め忠宣を召せしとき、畏嘗て言有りて上行わず。忠宣故に知らざるなり。忠宣因りて政を罷めんことを乞う。上許さず。後に楊畏首めに汲公に叛き、凡そ以て汲公を害す可き者は至らざる所無し。
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁紹聖の初め哲宗親政し、李清臣を用いて中書侍郎と爲す。范丞相純仁清臣と事を論じて合わず。范公去るを求む。帝許さず。范公堅く辭す。帝已むを得ず觀文殿大學士・判頴昌府を除す。章惇を召して相と爲さんとするも未だ至らず。清臣獨り中書に當たり、益ミ相位を覬倖す。復た免役・青苗の法を行い、諸路の常平使者を除す。惇至りて容るる能わず、事を以て之を中つ。清臣出でて北京を知す。
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁公國を憂え君を愛し、利害得喪を以て其の心を貳にせず。名節に刻意し、進み難く退き易し。屡ミ黜廢せらると雖も志氣彌ミ勵む。以て文正の風有りと爲す。其の朝廷に在るや、專ら人材を奬進するを務む。故に天下の善類は公の用捨を視て以て消長と爲す。其の論議は平恕にして已甚を爲さず。世に謂う、其の言をして熙寧・元豐の時に行われしめば後に必ず紛更に至らず、盡く元祐の中に申べしめば必ず紹聖大臣讎復の禍無からんと。
-
『宋名臣言行録』後集巻十三・范祖禹范忠宣の罷めらるるや、公嘗て論列す。客に忠宣に謂う者有り、淳夫も亦た言有り、何ぞや、と。忠宣曰く、純仁をして言路に在らしめ、宰相の政事此くの如きを見ば、亦た豈に黙す可けんや、と。
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁其の出だす所と外除及び朝に入らしめざる者は皆賢士にして、清臣素より憚る所、得て用う可からざる者なり。忠彦懦なること甚だしく之が爲に主たる能わず。曾布右相と爲り范致虚を用う。諫疏に云う、河北の三帥は連衡す。恐らくは社稷の福に非ずと。劉安世・呂希純同日に罷を報ぜらる。清臣も亦た布の陷るる所と爲り、出でて北京を知す。