宋名臣言行録 / 前集巻八・龎籍
公在延州軍行出塞使因糧於敵馬芻皆自刈之還畀其直民無飛輓之勞及去民遮道而泣曰公用兵數年未嘗以一事煩民雖以一子為香焚之猶不足報也
新字:公在延州軍行出塞使因糧於敵馬芻皆自刈之還畀其直民無飛輓之労及去民遮道而泣曰公用兵数年未嘗以一事煩民雖以一子為香焚之猶不足報也
書き下し
公、延州に在り。軍行きて塞を出づ。糧を敵に因らしむ。馬芻は皆な自ら之を刈る。還りて其の直を畀う。民、飛輓の勞無し。去るに及び、民、道を遮りて泣きて曰く、公、兵を用うること數年、未だ嘗て一事を以て民を煩わさず。一子を以て香と為して之を焚くと雖も、猶お報ゆるに足らざるなりと。
現代語訳
公が延州にいた。軍が出て塞を越えた。糧は敵地で調達させた。馬の飼葉はみな自分たちで刈った。帰ってからその代金を払った。民は輸送の労が無かった。去るとき、民は道をふさいで泣いて言った。「公は兵を用いること数年、一度も一つの事で民を煩わせませんでした。子を一人お香にして焚いても、まだ報いるに足りません」。
解説
民を煩わせない、という一点を数年通した条です。中身は三つでした。**糧は敵地で調達させ、馬の飼葉は自分たちで刈り、帰ってから代金を払う。**輸送の労がありません。去るときの民の言葉が、この条の値打ちです。**子を一人お香にして焚いても、まだ報いるに足りません。**言い過ぎに聞こえますが、輸送の徴発で首を吊る人が出ていた時代の言葉です。
この章句が説くこと
糧を敵に因らしむ馬芻は皆な自ら之を刈る還りて其の直を畀う民飛輓の労無し公兵を用うること数年未だ嘗て一事を以て民を煩わさず兵站負担自弁
関連する章句
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孫子・作戦篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里に糧を饋る。則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費やし、然る後に十万の師挙がるなり。
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孫子・行軍篇奔走して兵を陳ぬる者は、期するなり。半ば進み半ば退く者は、誘うなり。
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孫子・作戦篇兵を善く用うる者は、役に再び籍せず、糧を三たび載せず。国に用を取り、敵に因りて糧をし、故に軍食足るべし。
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三略・上略軍讖に曰く、兵を用うるの要は、必ず先ず敵情を察し、其の倉庫を視、其の糧食を度り、其の強弱を卜し、其の天地を察し、其の空隙を伺う、と。故に国に軍旅の難無くして糧を運ぶ者は、虚なり。民に菜色ある者は、窮なり。千里に糧を饋れば、士に飢色有り。樵蘇して後に爨げば、師は宿として飽かず。夫れ糧を千里に運びて一年の食無く、二千里にして二年の食無く、三千里にして三年の食無きを、是を国虚と謂う。国虚なれば、則ち民貧し。民貧しければ、則ち上下親しまず。敵は其の外を攻め、民は其の内に盗む。是を必潰と謂う。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦又た進むを好むの人は利害を顧みず、但だ邊事將に作らんとするを得ば富貴圖る可しとし、必ず曰わん、虜勢已に衰う。特だ外に驕慢を恃むのみ。陛下の神聖文武を以て、若し將臣を擇びて大兵を領し、深く虜境に入らば、則ち幽燕の地一舉して復す可しと。此れ又た未だ之を思わざるなり。今河朔は累歳災傷し、民力大いに乏し。將官は麤勇にして謀寡なく、保甲は未だ訓練を經ず。若し重兵を驅りて堅城の下に頓せば、糧道繼がず、腹背に敵を受けん。曹彬・米信のごとき名德の宿將と雖も、猶お此を以て岐溝の敗を致すなり。
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『宋名臣言行録』前集巻八・龎籍文公、相と為る。公、樞宻使と為る。近世の兵を養うの弊、多くして精ならざるに在り、故に國用竭くるを以て、因りて大いに簡閲を加う。揀び放ちて民と為す者六萬餘人。其の衣糧の半を减ずる者二萬餘人。衆議紛然として、以て不可と為す。施昌言・李昭亮、尤も甚だし。皆な言う、官に衣食すること久し。農に歸るを願わず。又た弓弩を習う。之を散ずれば必ず盗賊と為らんと。上も亦た之を疑う。二公曰く、今、公私困竭し、上下皇皇たるは、正に冗兵を養うこと太だ多きに由るが故なり。今、省き去らずんば、蘇息するに由無し。萬一、果たして聚まりて盗と為る者有らば、二臣、請う、死を以て之に當たらんと。上意乃ち決す。邉儲、是に由りて稍や蘇る。