宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
少間修乃進曰太后事仁宗數十年仁聖之德著於天下婦人之性鮮不妬忌昔温成之寵太后處之裕然何所不容今母子之間而反不能忍邪后意稍和
新字:少間修乃進曰太后事仁宗数十年仁聖之徳著於天下婦人之性鮮不妬忌昔温成之寵太后処之裕然何所不容今母子之間而反不能忍邪后意稍和
書き下し
少間、脩乃ち進みて曰く、太后仁宗に事うること數十年、仁聖の德天下に著る。婦人の性、妬忌せざるは鮮し。昔溫成の寵、太后之に處すること裕然たり。何の容れざる所ぞ。今母子の間にして、反って忍ぶ能わざるかと。后の意稍ミ和らぐ。
現代語訳
しばらくして、欧陽脩が進み出て言った。「太后は仁宗にお仕えして数十年、仁聖の徳は天下に知れわたっております。婦人の性で嫉妬しない者は稀ですが、昔、温成が寵を受けたときも、太后はゆったりと構えておいででした。何を容れられぬことがありましょう。いま実の母子のあいだで、かえって忍べぬということがありますか」。太后の気持ちは少し和らいだ。
解説
同じ場を、欧陽脩が別の角度から解きます。持ち出したのは太后自身の過去でした。**昔、温成が寵を受けたときも、太后はゆったりと構えておいででした。**いちばん耐えがたいはずのところで耐えた人だ、と先に立ててから、比べます。**何を容れられぬことがありましょう。いま実の母子のあいだで、かえって忍べぬということがありますか。**外の女に対してできたことが、子に対してできないのか、という置き方です。責めていないのに、退路がありません。**太后の気持ちは少し和らいだ。**
この章句が説くこと
太后仁宗に事うること数十年仁聖の徳天下に著る昔温成の寵太后之に処すること裕然たり今母子の間にして反って忍ぶ能わざるか説得比較嫉妬
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