宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
元豐七年春公有疾兩日不言少蘇語吳國夫人曰夫婦之情偶合耳不須他念強為善而已執葉濤手曰君聰明宜博讀佛書慎勿徒勞作世間言語安石生來多枉費力作閑文字深自悔責吳國勉之曰公未宜出此言曰生死無常吾恐時至不能發言故今叙此時至則行何用君勸公疾瘳乃自悔曰雖識盡天下理而定力尚淺或者未死應尚竭力修為陳子聞之而疑曰豈現行無常現身有疾者乎不可疑也
新字:元豊七年春公有疾両日不言少蘇語吳国夫人曰夫婦之情偶合耳不須他念強為善而已執葉濤手曰君聰明宜博読仏書慎勿徒労作世間言語安石生来多枉費力作閑文字深自悔責吳国勉之曰公未宜出此言曰生死無常吾恐時至不能発言故今叙此時至則行何用君勧公疾瘳乃自悔曰雖識尽天下理而定力尚浅或者未死応尚竭力修為陳子聞之而疑曰豈現行無常現身有疾者乎不可疑也
書き下し
元豐七年の春、公疾有り。兩日言わず。少しく蘇りて吳國夫人に語りて曰く、夫婦の情は偶合のみ。他念を須いず。強いて善を爲すのみと。葉濤の手を執りて曰く、君は聰明なり。宜しく博く佛書を讀むべし。愼んで徒らに勞して世間の言語を作す勿かれ。安石は生まれ來りて多く枉げて力を費やし、閑文字を作る。深く自ら悔責すと。吳國勉めて曰く、公未だ宜しく此の言を出すべからずと。曰く、生死は無常なり。吾は時至りて言を發する能わざるを恐る。故に今此を叙ぶ。時至らば則ち行く。何ぞ君の勸むるを用いんと。公の疾瘳えて乃ち自ら悔いて曰く、天下の理を識り盡くすと雖も定力は尚お淺し。或いは未だ死せずんば、應に尚お力を竭くして修爲すべしと。陳子之を聞きて疑いて曰く、豈に無常を現行し疾を現身する者ならんや。疑う可からざるなりと。
現代語訳
元豊七年の春、王安石は病んだ。二日ものを言わなかった。少し意識が戻って呉国夫人に語って言った。「夫婦の情はたまたま合っただけのことだ。他の思いは要らない。努めて善を行うだけだ」。葉濤の手を取って言った。「君は聡明である。広く仏書を読むべきだ。慎んで、いたずらに労して世間向けの言葉を作ってはならぬ。安石は生まれてこのかた、多く曲げて力を費やし、無用な文字を作ってきた。深く自ら悔いて責めている」。呉国夫人が努めて言った。「公はまだそのようなことを口になさるべきではありません」。言った。「生き死には定めがない。私は時が来て言葉が出せなくなることを恐れる。だからいまこれを述べておくのだ。時が来れば行くだけだ。どうしてお前の勧めを聞く必要があろう」。王安石の病が癒えると、自ら悔いて言った。「天下の道理を知り尽くしたとしても、定まった力はまだ浅い。もし死なずにいるのなら、なお力を尽くして修めるべきだ」。陳子はこれを聞いて疑って言った。「無常をその身に現し、病をその身に現した人ではないか。疑ってはならない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公晚年、鍾山の書院に於いて多く福建子の三字を寫す。蓋し呂惠卿を悔恨するなり。惠卿の陷るる所と爲るを恨み、惠卿の誤らしむる所と爲るを悔ゆるなり。毎に山行すれば多く恍惚として獨言すること狂者の若し。公既に病む。和甫邸吏の狀を以て公に示す。適ま司馬公相と作るを報ず。公悵然として曰く、司馬十二相と作れりと。公薨ず。溫公病中に在りて之を聞き、呂申公に簡して曰く、介甫に他無し。但だ執拗なるのみ。贈恤の典は宜しく厚くすべしと。溫公の盛德此くの如し。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石雱死し、公相を罷む。哀悼して忘れず。一日鳳鳥去り、千年梁木摧くの詩有り。蓋し以て孔子に比するなり。公鍾山に坐して、常に恍惚として雱の枷杻を荷うこと重囚の如き者を見る。公遂に居る所の半山園の宅を施して寺と爲し、以て其の福を薦む。後に公瘡を病みて良に苦しむ。嘗て其の姪に語りて曰く、亟かに吾が所謂日錄なる者を焚けと。姪公を紿きて他書を焚きて之に代う。公乃ち死す。或いは云う、又た見る所有るなりと。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石僕既に仕籍に與る。而して學ぶ所の者は聖賢の事業、專ら春秋を以て之が主と爲す。皆大中至正、三綱五常の道なり。其の爲す所の文は六經に學びて、必ず道德性命に本づき、一に仁義に歸す。其の君に施す所の者は則ち又た忠厚愛人、天下を兼善するの道なり。自ら顧みるに時に合わず。而して之を學ぶも又た方たる能わず。惶惶然として其の迹を容るる所無し。而して故人張諫議正國、僕を辟して髙陽の帥幕と爲さんとす。今邵堯夫も亦た書有りて我を招きて洛中に遊ばしむ。兼ねて詩有りて云う、年光は空しく去るなり、人事は轉た蕭然たりと。止だ貧老の兄の生事の粗ミ足るを俟つ。幼くして孤なる者は分有り歸有り。亦た西のかた洛中に歸り、先人の墳墓を守り、有洛の表に徜徉せん。吾が願い畢わらん。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公遂に力めて去るを求む。已にして公卒に位を去り、惠卿を薦めて己に代う。命の下るの日、京師大風雨。土席を翳うこと寸を逾ゆ。俠又た上書して言う、安石は本と惠卿の誤らしむる所と爲りて此に至る。今復た扳援して以て前非を遂げ、復た宗社の爲に計らずと。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公平生氣を養い得て完し。他の官職を做すを好まざるが爲なり。宰相と作りて只だ魚羹飯を喫らう。受用するを得る底も受用せず。省便に縁りて去就自在なり。嘗て殿に上り一劄子を進めて人を除するを擬す。神宗允さず。對えて曰く、阿、除し得ずと。又た一劄子を進めて人を除するを擬す。神宗も亦た允さず。又た曰く、阿、也た除し得ずと。殿を下り出で來りて便ち去るを乞う。更に留むるも住まらず。平生屈せざるも亦た奇特なり。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公金陵に在り、朝廷の其の法を變ずるを聞くも、夷然として以て意と爲さず。役法を罷むるを聞くに及び、愕然として聲を失いて曰く、亦た罷めて此に至るかと。良や久しくして曰く、此の法は終に罷む可からず。安石は先帝と之を議すること兩年にして乃ち行う。曲盡くさざる無しと。後果たして其の言の如し。