宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
公言舊年子弟赴官有乞書於蜀公者公不許曰仕宦不可廣求人知受恩多則難立朝矣
新字:公言旧年子弟赴官有乞書於蜀公者公不許曰仕宦不可広求人知受恩多則難立朝矣
書き下し
公言う、舊年子弟の官に赴くに、蜀公に書を乞う者有り。公許さずして曰く、仕宦は廣く人に知らるるを求む可からず。恩を受くること多ければ、則ち朝に立ち難し、と。
現代語訳
范祖禹は言った。先年、一族の子弟が任地に赴くにあたって、范鎮に紹介状を書いてもらおうとする者があった。范祖禹はこれを許さずに言った。「官途にある者は、広く人に知られようと求めてはならない。恩を受けることが多ければ、朝廷に立ちにくくなる」。
解説
紹介状一通を断った話です。理由が、遠慮ではありません。将来の身動きの話でした。恩を受けることが多ければ、朝廷に立ちにくくなる。顔を広げるとは、借りを作ることです。借りのある相手が増えるほど、言えないことが増えていきます。だから最初の一通から断りました。官途にある者は、広く人に知られようと求めてはならない。この巻の人が、後に誰にも遠慮なく物を言えた理由が、こういう小さな断りに積み上がっています。
この章句が説くこと
旧年子弟の官に赴くに蜀公に書を乞う者有り公許さず仕宦は広く人に知らるるを求む可からず恩を受くること多ければ則ち朝に立ち難し紹介借り
関連する章句
-
言志四録・言志晩録 別存 第三十四条 奏疏の通患公嘗て余に語りて曰く、「古人の奏疏は、固より忠言讜論多く、時弊に切中す。然れども事未だ発せずして之を言へば、率ね用ゐられず。已に発して之を言へば、遂に及ばず。是れ古今の通患なり」と。余其の言の的然たるに服す。
-
『甲陽軍鑑』品第四十二明けくれ雑談を聞給ふ故なりと馬塲美濃高坂弾正に語る也信玄公軍法之御挨拶人一馬塲美濃軍の被成様申上る一山県三郎兵衛御働きなされてよきとすゝめ申上る一内藤修理何方へ御働きと指図申上る、其様子は北条家をかすめ給ふにも、伊豆か相摸か、はちかたか、関東にては新出·足利か、家康にては遠州か三河か信長東美濃か、扨は越後かと様子を積りて内藤申上る一高坂弾正者二ツなく敵国へふかく働き或は御一戦必ず御延引と計り申上、能く隠密するにより働きまへにしれず、但し侍大将衆は存候なり一文のいる事には小山田弥三郎をめして、七書·五経の古語をいはせて聞給ふ一何国先方衆にも疑ひ有るなしの御用心の事は土屋右衛門尉·三枝勘解由左衛門·真田喜兵衛·曽根内匠申上るに少しも私しなし一陣取、或は他国にて陣塲をみたつる事原隼人佐次第に被成候也一他国より御客来の挨拶、又は状文の取引は跡部大炊介·長坂長閑是の両人なり、
-
史記 孟子荀卿列伝その後、騶子の属有り。斉に三騶子有り。その前は騶忌、琴を鼓するを以て威王に干め、因りて国政に及び、封ぜられて成侯と為りて相印を受く、孟子に先だつ。
-
『韓非子』初見秦第一大王誠に其の説を聴きて、一挙にして天下の従破れず、趙挙がらず、韓亡びず、荆・魏臣とせず、斉・燕親しまず、霸王の名成らず、四隣の諸侯朝せずんば、大王臣を斬りて以て国に徇え、以て王の為に謀りて忠ならざる者の戒めと為せ。
-
『呻吟語』外篇・治道・進言に四難有り言を進むるに四難有り。「人を審らかにし、己を審らかにし、事を審らかにし、時を審らかにす」。一つも未だ審らかならざる有らば、事必ず濟らず。
-
『韓非子』難言第三言順比滑沢、洋洋纚纚然たれば、則ち見て以て華にして実ならずと為さる。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る