宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
公曰北朝㤀章聖皇帝之德乎澶淵之役若從諸將言北兵無得脫者且北朝與中國通好則人主專其利而臣下無所獲若用兵則利歸臣下而人主任其禍故北朝諸臣争勸用兵者此皆其身謀非國計也北主驚曰何謂也
新字:公曰北朝㤀章聖皇帝之徳乎澶淵之役若従諸将言北兵無得脱者且北朝与中国通好則人主専其利而臣下無所獲若用兵則利帰臣下而人主任其禍故北朝諸臣争勧用兵者此皆其身謀非国計也北主驚曰何謂也
書き下し
公曰く、北朝は章聖皇帝の德を忘れたるか。澶淵の役、若し諸將の言に從わば、北兵の脱するを得る者無からん。且つ北朝、中國と好を通ずれば、則ち人主其の利を專らにして、臣下獲る所無し。若し兵を用うれば、則ち利は臣下に歸して、人主其の禍を任ず。故に北朝の諸臣、爭いて用兵を勸むる者は、此れ皆其の身の謀にして、國の計に非ざるなりと。北主驚きて曰く、何の謂いぞやと。
現代語訳
富弼は言った。「北朝は章聖皇帝(真宗)のご恩を忘れられたのか。澶淵の役のとき、もし諸将の言に従っていたなら、北の兵で脱れ得た者はいなかったでしょう。そのうえ、北朝が中国と好を通じれば、その利は君主が独り占めにして、臣下の得るところはありません。もし兵を用いれば、利は臣下に帰して、君主がその災いを引き受けます。だから北朝の諸臣が争って開戦を勧めるのは、みな自分の身のための謀であって、国のための計ではないのです」。北の主は驚いて言った。「どういうことか」。
解説
この交渉の一撃です。戦争の是非を論じていません。誰が得をするかを、君主と臣下に分けました。好を通じれば、その利は君主が独り占めにして、臣下の得るところはない。兵を用いれば、利は臣下に帰して、君主がその災いを引き受ける。そのうえで、目の前で開戦を勧めている者たちの動機を名指しします。北朝の諸臣が争って開戦を勧めるのは、みな自分の身のための謀であって、国のための計ではない。敵国の使者が、相手の君主に、その臣下の利害構造を説明している。北の主は驚いて言った。どういうことか。
この章句が説くこと
北朝は章聖皇帝の徳を忘れたるか北朝中国と好を通ずれば則ち人主其の利を専らにして臣下獲る所無し若し兵を用うれば則ち利は臣下に帰して人主其の禍を任ず此れ皆其の身の謀にして国の計に非ざるなり利害和平
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