宋名臣言行録 / 前集巻三・陳恕
公素不喜釋氏嘗請廢譯經院辭甚激切真宗曰三教之興其来已乆前代毁之者多矣但存而不論可也
新字:公素不喜釈氏嘗請廃訳経院辞甚激切真宗曰三教之興其来已乆前代毁之者多矣但存而不論可也
書き下し
公素より釋氏を喜ばず。嘗て譯經院を廢せんことを請う。辭甚だ激切なり。真宗曰く、三教の興る、其の来ること已に乆し。前代之を毁つ者多し。但だ存して論ぜざるも可なりと。
現代語訳
公は平素から仏教を好まなかった。かつて訳経院を廃止するよう願い出た。言葉はたいそう激しく切迫していた。真宗は言った。「三つの教えが興ってから、その来歴はもう長い。前代にもこれを壊した者は多かった。ただ残しておいて論じないというのでもよいではないか」。
解説
廃止を強く求めた臣下を、帝が受け流した条です。答え方が上手い。**三つの教えが興ってから来歴は長い、前代にも壊した者は多かった、ただ残しておいて論じないというのでもよい。**是非を決めていません。歴史の長さを一つ置いて、決着させないことを選んでいます。激しく迫る側と、決めない側。どちらが正しいかを、この書もやはり書いていません。
この章句が説くこと
三教の興る其の来ること已に乆し前代之を毁つ者多し但だ存して論ぜざるも可なり宗教決着保留
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕公、計司を總領すること多年。便殿に事を奏する毎に、太宗或いは未だ深く察せずして必ず誚讓を形わす。公板を歛め踧縮して退き、殿壁に至り墻を負いて立ち、容るる所無きが若し。帝の意稍く解くるを俟ちて復た進み、慤かに前奏を執りて終に改易せず。是くの如くすること或いは三四に至る。上、其の忠亮を以て多く其の議に從う。故に當時、稱職を言う者は公之が首と為る。
-
『宋名臣言行録』前集巻三・陳恕恕、三司使と為る。真宗、中外の錢穀の大數を具えて以て聞せんことを命ず。恕諾して進めず。乆しくして上屢々之を趣す。恕終に進めず。上、執政に命じて之を詰らしむ。恕曰く、天子は春秋に富む。若し府庫の充實を知らば、恐らくは侈心を生ぜん。是を以て敢えて進めずと。上聞きて之を善しとす。
-
『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著公晩に多く釋氏の書を讀み、益ミ禪理を究む。温公は博學にして志行有るも獨り佛を喜ばず。公毎に其の留意せんことを勸め、且つ曰く、所謂佛學なる者は直だ其の心術の簡要なるを貴ぶのみ。必ずしも事事服習して方外の人と爲るに非ざるなりと。
-
『宋名臣言行録』後集巻十・韓維邇英に三朝寶訓を讀み天禧中に至る。二人の罪を犯す者有り。法は當に死すべし。眞宗惻然として之を怜れみて曰く、此等安んぞ法を知らんや。之を殺せば則ち忍びず。之を捨つれば則ち以て衆を勵ます無しと。乃ち持ち去らしめ、笞ちて之を遣わし、斬り訖わると以て奏せしむ。
-
『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄尚書祠部を判す。權貴人の寺觀の名額を奏乞し、且つ僧人道士を度せんとするに遇う。公堅く著令を執りて爲に行わず。因りて奏言す、近年以来、宮闈宦官より以て要近に及ぶまで、一例に陳乞す。蓋し秉政の大臣、陛下の爲に典刑を愛惜せず、首として凟亂を爲す。有る所の詔令、未だ敢えて奉行せず、と。
-
『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖敵和を請う。上以て公に問う。公曰く、如し臣の䇿を用いば、數百年無事なる可し。然らずんば、四五十年の後、臣、戎心の又た生ぜんことを恐ると。上曰く、朕、生靈の困を受くるに忍びず。且く其の和を聴すに如かず。四五十年の後、安んぞ能く塞を捍ぐ者無きを知らんやと。戎遂に和を得たり。