宋名臣言行録 / 前集巻五・王曽
胡文定公曰李文靖澹然無欲王沂公儼然不動資禀既如此又濟之以學故是八九分地位也
新字:胡文定公曰李文靖澹然無欲王沂公儼然不動資禀既如此又済之以学故是八九分地位也
書き下し
胡文定公曰く、李文靖は澹然として欲無く、王沂公は儼然として動かず。資禀既に此くの如く、又た之を濟うに學を以てす。故に是れ八九分の地位なりと。
現代語訳
胡安国が言った。「李沆は淡々として欲が無く、王曽は厳然として動じなかった。生まれつきの資質がこのとおりであって、そのうえ学問でそれを補った。だから八、九分の位置にある」。
解説
二人を並べて、位置を測った評です。**李沆は淡々として欲が無く、王曽は厳然として動じなかった。**資質がそうであって、そのうえ学問で補った、と。面白いのは締めです。**だから八、九分の位置にある。**満点にしていません。惜しみながら、しかし高く置いている。人物評を「十分」にしないところに、この評者の物差しの厳しさが出ています。
この章句が説くこと
李文靖は澹然として欲無く王沂公は儼然として動かず資禀既に此くの如く又た之を済うに学を以てす故に是れ八九分の地位なり評価資質学問
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