宋名臣言行録 / 前集巻八・包拯
公尹京號爲明察有編民犯法當杖脊吏受賕與之約曰今見尹必付我責狀汝第呼號自辨我與汝分此罪汝决杖我亦决杖既而包引囚問畢果付吏責狀囚如吏言分辨不巳吏大聲訶之曰但受脊杖出去何用多言包謂其市權捽吏杖之十七特寛囚罪止從杖坐以沮吏勢不知乃爲所賣卒如素約小人爲姦固難防也公天性峭嚴未嘗有笑容人謂包希仁笑比黄河清
新字:公尹京号為明察有編民犯法当杖脊吏受賕与之約曰今見尹必付我責状汝第呼号自弁我与汝分此罪汝決杖我亦決杖既而包引囚問畢果付吏責状囚如吏言分弁不巳吏大声訶之曰但受脊杖出去何用多言包謂其市権捽吏杖之十七特寛囚罪止従杖坐以沮吏勢不知乃為所売卒如素約小人為姦固難防也公天性峭厳未嘗有笑容人謂包希仁笑比黄河清
書き下し
公、京を尹め、明察と號と爲す。編民の法を犯して當に脊を杖たるべき有り。吏、賕を受け、之と約して曰く、今、尹に見えば必ず我に責狀を付せん。汝、第だ呼號して自ら辨ぜよ。我、汝と此の罪を分かたん。汝、杖を决せられ、我も亦た杖を决せられんと。既にして包、囚を引きて問い畢わる。果たして吏に責狀を付す。囚、吏の言の如くし、分辨して巳まず。吏、大聲もて之を訶して曰く、但だ脊杖を受けて出で去れ。何ぞ多言を用いんやと。包、其の權を市うと謂い、吏を捽して之を杖つこと十七。特に囚の罪を寛くして止だ從杖に坐す。以て吏の勢いを沮む。知らず、乃ち賣らるる所と爲るを。卒に素約の如し。小人の姦を爲すは、固より防ぎ難きなり。公の天性は峭嚴なり。未だ嘗て笑容有らず。人、包希仁の笑いは黄河の清むに比すと謂う。
現代語訳
公が都の長官であって、明察との評判があった。庶民で法を犯し、背を杖打たれるはずの者があった。役人が賄賂を受け、その者と申し合わせて言った。「いま長官の前に出れば、必ず私に処分の文書を渡すはずだ。おまえはただ大声で泣いて自分から弁解しろ。私はおまえとこの罪を分ける。おまえは杖を打たれ、私もまた杖を打たれる」。ほどなく包拯は囚人を引き出して尋問を終えた。はたして役人に処分の文書を渡した。囚人は役人の言ったとおりにして、弁解してやまなかった。役人は大声で叱って言った。「ただ背に杖を受けて出て行け。何を多言する必要がある」。包拯は、その者が権を売っていると考え、役人を引きずり出して杖で十七打った。とりわけ囚人の罪を軽くし、ただ従杖で済ませた。それによって役人の勢いを挫いた。じつは売られていたのだと知らなかった。けっきょく最初の申し合わせのとおりになった。小人が悪事を働くのは、もとより防ぎがたいものである。公の生まれつきは険しく厳しかった。一度も笑顔を見せたことがなかった。人は「包希仁の笑いは、黄河が澄むのに等しい」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第七章 至誠信實・武士が商業に転じて失敗する乞ふ、今少しく之を観察せん。我国の歴史に通暁する者は記憶せん、開港後幾年ならずして、封建の廃滅するや、武士は家禄を失ひて、此れに代ふるに公債の下附を以てせられ、而して其公債を放資して商業を営むの自由を賦与せられたることを。或は問ふ、『然らば武士は此際、何が故に其誇りとせる誠実信義に依りて、此新事業に当り、以て商業の旧弊を一洗することを得ざりしか』と。彼の志高く行ひ潔き武士の輩が、其身をかつて経験なき新職業に投じ、而して狡獪なる平民に抗して、錙銖の利を争はんと欲す、いかでか其の成功を期するを得んや。されば之れが為に多大の失敗を招くの止むを得ざるに至りしは、けだし悲惨の極と云ふべく、目ある者は之を見て哭し、心ある者は之を想ふて涙禁ずる能はざりしもの、けだし当時の状態にあらずや。
-
孟子・公孫丑章句下燕人畔く。王曰く、「吾甚だ孟子に慚づ。」陳賈曰く、「王患うること無かれ。王自ら以て周公と孰れか仁且つ智なりと為すか。」王曰く、「惡。是れ何の言ぞや。」曰く、「周公、管叔をして殷を監せしむ。管叔、殷を以て畔く。知りて之を使むれば、是れ不仁なり。知らずして之を使むれば、是れ不智なり。仁智は周公も未だ之れ盡くさざるなり。而るを況んや王に於いてをや。賈請う、見て之を解かん。」孟子を見て、問いて曰く、「周公は何人ぞや。」曰く、「古の聖人なり。」曰く、「管叔をして殷を監せしめしに、管叔、殷を以て畔く。諸れ有りや。」曰く、「然り。」曰く、「周公は其れ將に畔かんとするを知りて之に使むるか。」曰く、「知らざるなり。」「然らば則ち聖人すら且つ過つこと有るか。」曰く、「周公は弟なり。管叔は兄なり。周公の過つも、亦た宜ならずや。且つ古の君子は、過てば則ち之を改む。今の君子は、過てば則ち之に順う。古の君子は、其の過つや、日月の食するが如し。民皆之を見る。其の更むるに及んでや、民皆之を仰ぐ。今の君子は、豈に徒に之に順うのみならんや。又從って之が辭を為す。」
-
『呻吟語』内篇・應務・能く人の過ちを掩ふ余晉中を觀察するに、每に堂に升れば、首領官凡そ四人あり。堂官に先揖し、次に班を分かちて對揖す。一日、三人は公を以て出で、一人堂に在り。偶たま對班の人無きを忘れ、又た忽ち揖し下り、起ちて、愧づること言ふ可からず。群吏口を忍びて笑ふ。余揖手して之に謂ひて曰く、「事有らば先に退くを妨げず」と。揖する者退き、其の色頓に平らかなり。偶たま此の舉は能く人の過ちを掩ふ、以て前失を補ふ可し。因りて之を識して以て忠厚の端に充つと云ふ。
-
『墨子』親士昔者、文公は出で走りて天下を正し、桓公は國を去りて諸侯に霸たり、越王句踐は吳王の仇に遜りて、尚お中國の賢君を攝す。三子の能く名を達し功を天下に成せるや、皆な其の國に於て抑えられ、而して大いに醜ずかしめられたればなり。太上は敗るること無く、其の次は敗れて以て成すこと有り、此れを之れ民を用うと謂う。吾れ之を聞けらく、「安居無きに非ざるなり、我に安心無きなり。足財無きに非ざるなり、我に足心無きなり」と。是の故に君子は自らを難んじて彼を易んじ、衆人は自らを易んじて彼を難んず。君子は進んで其の志を敗らず、内に其の情を究め、庸民に雜わると雖も、終に怨心無し。彼れ自ら信ずる者有ればなり。
-
『学問のすゝめ』十四編・心事の棚卸し・世の事変は活物にてまた人の性に智愚強弱の別ありといえども、みずから禽獣の智恵にも叶わぬと思う者はあるべからず。世の中にあるさまざまの仕事を見分けて、この事なれば自分の手にも叶うことと思い、自分相応にこれを引き受くることなれども、その事を行なうの間に、思いのほかに失策多くして最初の目的を誤り、世間にも笑われ、自分にも後悔すること多し。世に功業を企てて誤る者を傍観すれば、実に捧腹にも堪えざるほどの愚を働きたるように見ゆれども、そのこれを企てたる人は必ずしもさまで愚なるにあらず、よくその情実を尋ぬれば、また尤もなる次第あるものなり。畢竟世の事変は活物にて容易にその機変を前知すべからず。これがために智者といえども案外に愚を働くもの多し。
-
史記 刺客列伝剣を負ひ、遂に抜きて以て荊軻を撃ち、其の左股を断つ。荊軻廃れ、乃ち其の匕首を引きて以て秦王に擿つ。中らず、桐柱に中つ。秦王復た軻を撃つ。軻八創を被る。軻自ら事の就らざるを知り、柱に倚りて笑ひ、箕踞して以て罵りて曰く、「事の成らざりし所以の者は、生きながら之を劫かし、必ず約契を得て以て太子に報ぜんと欲せしを以てなり」と。是に於て左右既に前みて軻を殺す。秦王怡ばざる者良久し。已にして功を論じ、群臣及び当に坐すべき者を賞すること各々差有り。而して夏無且に黄金二百溢を賜ひて曰く、「無且我を愛す。乃ち薬嚢を以て荊軻に提てり」と。是に於て秦王大いに怒り、益々兵を発して趙に詣らしめ、王翦の軍に詔して以て燕を伐たしむ。十月にして薊城を抜く。燕王喜・太子丹等尽く其の精兵を率ゐて東のかた遼東に保つ。秦将李信燕王を追撃すること急なり。代王嘉乃ち燕王喜に書を遺りて曰く、「秦の尤も燕を追ふこと急なる所以の者は、太子丹の故を以てなり。今王誠に丹を殺して之を秦王に献ぜば、秦王必ず解けん。而して社稷幸ひに血食するを得ん」と。其の後李信丹を追ふ。丹衍水の中に匿る。燕王乃ち使をして太子丹を斬らしめ、之を秦に献ぜんと欲す。秦復た兵を進めて之を攻む。後五年、秦卒に燕を滅ぼし、燕王喜を虜にす。其の明年、秦天下を并せ、号を立てて皇帝と為す。是に於て秦、太子丹・荊軻の客を逐ふ。皆亡ぐ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る