宋名臣言行録 / 後集巻十三・陳瓘
公謂天下之事變故無常唯稽攷往事則有以知其故而應變王氏之學乃欲廢絶史學而咀嚼虚無之言其事與晉無異将必以荒唐亂天下矣故彈蔡京疏文有曰絶滅史學一似王衍重南輕北分裂有萌逮今三十餘年而所言無不騐矣
新字:公謂天下之事変故無常唯稽攷往事則有以知其故而応変王氏之学乃欲廃絶史学而咀嚼虚無之言其事与晉無異将必以荒唐乱天下矣故弾蔡京疏文有曰絶滅史学一似王衍重南軽北分裂有萌逮今三十余年而所言無不騐矣
書き下し
公謂えらく、天下の事は變故常無し。唯だ往事を稽攷すれば、則ち以て其の故を知りて變に應ずる有り。王氏の學は乃ち史學を廢絶して虚無の言を咀嚼せんと欲す。其の事晉と異なる無し。將に必ず荒唐を以て天下を亂さんとす、と。故に蔡京を彈ずる疏文に曰く有り、「史學を絶滅すること一に王衍に似たり。南を重んじ北を輕んじ、分裂萌す有り」と。今に逮ぶこと三十餘年にして、言う所驗ならざる無し。
現代語訳
陳瓘は考えた。天下の事は変化と異変に定まりがない。ただ過去の出来事を調べ考えれば、その由来を知って変化に応じることができる。王安石の学は、史学を廃絶して虚無の言葉を噛みしめようとしている。そのありようは晋の時代と変わらない。必ずや荒唐無稽によって天下を乱すだろう、と。だから蔡京を弾劾した上奏文にはこうある。「史学を絶滅させるさまは、まったく王衍に似ている。南を重んじ北を軽んじ、分裂の芽が生じている」。それから三十余年たって、言ったことはすべて的中した。
解説
史学がなぜ要るのか、という理由が一行で示されています。**過去の出来事を調べ考えれば、その由来を知って変化に応じることができる。**予測のためではありません。変化が来たときに、由来をたどれるかどうかです。だから廃止に反対しました。引き合いに出したのは晋の王衍、清談にふけって国を失った人物です。**史学を絶滅させるさまは、まったく王衍に似ている。**そして北宋は、北を軽んじたまま滅びます。**それから三十余年たって、言ったことはすべて的中した。**
この章句が説くこと
天下の事は変故常無し唯だ往事を稽攷すれば則ち以て其の故を知りて変に応ずる有り王氏の学は乃ち史学を廃絶して虚無の言を咀嚼せんと欲す史学を絶滅すること一に王衍に似たり南を重んじ北を軽んじ分裂萌す有り史学記録
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