宋名臣言行録 / 後集巻四・蔡襄
蘇子容云歐公不言文章而喜談政事君謨不言政事而喜論文章各不矜其所能也
新字:蘇子容云欧公不言文章而喜談政事君謨不言政事而喜論文章各不矜其所能也
書き下し
蘇子容云う、歐公は文章を言わずして政事を談ずるを喜び、君謨は政事を言わずして文章を論ずるを喜ぶ。各ミ其の能くする所を矜らざるなりと。
現代語訳
蘇頌は言う。「欧陽脩は文章を語らずに政事を談じるのを喜び、蔡襄は政事を語らずに文章を論じるのを喜んだ。それぞれ、自分の得意とするところを誇らなかったのである」。
解説
三十三字の観察です。当代一の文章家が政治の話をし、政務に精しい人が文章の話をしている。**それぞれ、自分の得意とするところを誇らなかったのである。**得意な話題に留まっていれば、いつでも自分が優位に立てます。そこを外すと、話が対等になる。しかも二人とも、相手の領分の話をしているわけではありません。自分の不得手な側について、自分から語っている。前の巻に、欧陽脩が訪ねてきた学生に役所の実務ばかり話した条がありました。
この章句が説くこと
欧公は文章を言わずして政事を談ずるを喜ぶ君謨は政事を言わずして文章を論ずるを喜ぶ各ミ其の能くする所を矜らざるなり謙抑得意話題
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