宋名臣言行録 / 前集巻六・程琳
公嘗館契丹使使者言中國使至契丹坐殿上位次髙而契丹使来坐次下當陞語甚切上與大臣皆以為小故不足爭將許之公以謂許其小必許其大不可遂止
新字:公嘗館契丹使使者言中国使至契丹坐殿上位次高而契丹使来坐次下当陞語甚切上与大臣皆以為小故不足争将許之公以謂許其小必許其大不可遂止
書き下し
公嘗て契丹の使いを館す。使者言う、中國の使い、契丹に至れば殿上に坐し、位次髙し。而して契丹の使い来たれば坐次下なり。當に陞すべしと。語甚だ切なり。上と大臣と、皆な以て小故にして爭うに足らずと為し、將に之を許さんとす。公以謂えらく、其の小を許さば必ず其の大を許さん。不可なりと。遂に止む。
現代語訳
公がかつて契丹の使者を接待した。使者は言った。「中国の使者が契丹に来れば殿上に坐り、席次が高い。ところが契丹の使者が来ると席次が下である。上げるべきだ」。言葉つきはたいそう切実であった。帝も大臣たちも、みな小さなことで争うに足りないとして、許そうとした。公はこう考えた。小さいところを許せば、必ず大きいところも許すことになる。不可である、と。そこで取りやめになった。
解説
席次という、誰もが「小さなこと」と思った要求を、一人だけ止めた条です。理屈は一行だけでした。**小さいところを許せば、必ず大きいところも許すことになる。**要求そのものの大小ではなく、譲るという前例ができるかどうかを見ています。帝も大臣たちも許そうとしていたところを、これで取りやめにしました。前に薛奎が契丹使の拝謁要求を「独り理を以て」退けたのと、同じ形の一条です。
この章句が説くこと
中国の使い契丹に至れば殿上に坐し位次高し皆な以て小故にして争うに足らずと為す其の小を許さば必ず其の大を許さん不可なり前例譲歩外交
関連する章句
-
説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
-
説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
-
孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
-
孔子家語・辯物呉王夫差、将に哀公と与に晋侯に見えんとす。子服景伯、使者に対えて曰わく、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を率いて以て王に見う。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を率いて以て伯に見う。今諸侯会するに、君と寡君と晋君に見えば、則ち晋成りて伯と為らん。且つ執事伯を以て諸侯を召し、而して侯を以て之れを終うれば、何の利か之れ有らん。」呉人乃ち止む。既にして之れを悔い、遂に景伯を囚う。伯、大宰嚭に謂いて曰わく、「魯将に十月上辛を以て、上帝に事有らんとす、先王季辛にして畢わる。何ぞや、世に職有り、襄より已来之れを改む。若し其れ会せずんば、則ち祝宗将に曰わん、呉実に然りと。」嚭夫差に言い、之れを帰す。子貢之れを聞き、孔子に見えて曰わく、「子服氏の子、説くに拙し。実を以て囚を獲、詐を以て免るるを得たり。」孔子曰わく、「呉子は夷為り、徳は欺く可くして実を以てす可からず。是れ聴く者の蔽いにして、説く者の拙きに非ざるなり。」
-
戦国策・齊攻宋宋使臧子索救於荊斉、宋を攻む。宋、臧子をして救いを荊に索めしむ。荊王大いに説び、救うことを許すこと甚だ勧む。臧子憂えて反る。其の御曰く、「救いを索めて得たり、憂色有るは何ぞや」と。臧子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救いて大斉に悪まるるは、此れ王の憂うる所なり。而るに荊王説ぶこと甚だし。必ず以て我を堅くせん。我堅くして斉弊るれば、荊の利なり」と。臧子乃ち帰る。斉王果たして攻め、宋の五城を抜くも、荊王至らず。
-
論語・憲問篇子曰く、命を為るに、裨諶之を草創し、世叔之を討論し、行人子羽之を脩飾し、東里の子産之を潤色す。