宋名臣言行録 / 後集巻四・蔡襄
公為文章清遒粹美工於書畫頗自惜不妄為人書仁宗尤愛稱之御製元舅隴西王碑文詔公書之其後命學士撰温成皇后碑文又勅公書則辭曰此待詔職也
新字:公為文章清遒粋美工於書画頗自惜不妄為人書仁宗尤愛称之御製元舅隴西王碑文詔公書之其後命学士撰温成皇后碑文又勅公書則辞曰此待詔職也
書き下し
公の文章を爲すは清遒粹美。書畫に工みなり。頗る自ら惜しみて妄りに人の爲に書せず。仁宗尤も之を愛稱す。御製の元舅隴西王の碑文は、詔して公に之を書せしむ。其の後、學士に命じて溫成皇后の碑文を撰せしめ、又た公に勅して書せしむ。則ち辭して曰く、此れ待詔の職なりと。
現代語訳
蔡襄の文章は清らかで力強く、粋で美しい。書と画に巧みであった。ずいぶん自ら惜しんで、みだりに人のために書かなかった。仁宗はとりわけこれを愛し称えた。天子自ら作った元舅の隴西王の碑文は、詔して蔡襄に書かせた。その後、学士に命じて温成皇后の碑文を撰させ、また蔡襄に勅して書かせようとした。すると辞退して言った。「これは待詔の職でございます」。
解説
同じ「天子の命で碑を書く」でも、受けた仕事と断った仕事があります。受けたのは天子の外戚である隴西王の碑、断ったのは寵姫の温成皇后の碑でした。理由に、その差を持ち出していません。**これは待詔の職でございます。**書を専門とする役人の仕事だ、と職掌の話にしています。碑の相手が誰かを論じれば、天子の私事に立ち入ることになる。断るところは断って、角は立てない断り方でした。
この章句が説くこと
公の文章を為すは清遒粋美書画に工みなり頗る自ら惜しみて妄りに人の為に書せず御製の元舅隴西王の碑文は詔して公に之を書せしむ又た公に勅して書せしむ則ち辞して曰く此れ待詔の職なり書職分
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻四・蔡襄御史呂景初・吳中復・馬遵、梁丞相を論ずるに坐して臺職を罷められ、他官を除せらる。公詞頭を封じ還して制を草せず。其の後屢ミ除授の當たらざる者有れば、必ず皆之を封じ還す。而して上公に遇すること益ミ厚し。曰く、子有ること此くの如し。其の母の賢なるを知る可しと。命じて特に冠帔を賜いて以て之を寵む。
-
『宋名臣言行録』後集巻四・蔡襄蘇子容云う、歐公は文章を言わずして政事を談ずるを喜び、君謨は政事を言わずして文章を論ずるを喜ぶ。各ミ其の能くする所を矜らざるなりと。
-
『宋名臣言行録』後集巻四・蔡襄陳執中參政たり。公と孫甫と上言す、執中は剛愎不才なり。若し任ずるに政を以てせば、天下の不幸なりと。上聽かず。因りて出でて福州を知らんことを求む。
-
『宋名臣言行録』後集巻四・蔡襄是の時天下無事にして、士大夫久安に弛む。一日元昊叛き、師久しく功無し。天子慨然として兵を厭い、百度を正して以て太平を脩めんことを思う。既に已に羣議を排して二三の大臣を進退す。又た詔して諫官四員を増置し、拾遺補闕せしむ。之を遇する所以甚だ寵たり。公材名を以て選中に在り。事に遇えば感激して廻避する所無し。權倖畏れ斂めて、敢えて法を撓め正を干さず。而して上益ミ大臣と圖議するを得たり。明年、屢ミ詔書を下して農桑を勸め、學校を興し、弊を革め廢を脩む。而して天下竦然として上の治を求むるを知れり。此の時に於いて、言事の臣は日として進見せざる無く、而して公の補益は尤も多しと爲す。
-
『宋名臣言行録』前集巻五・蔡齊真宗新たに天下を棄つ。天子諒隂す。丁謂、權を専らにす。公を邀致せんと欲し、許すに知制誥を以てす。公拒みて往かず。已にして冦萊公・王文康公、皆な附かざるを以て黜せらる。公歸りて歎じて曰く、吾れ先帝の知を受けて此に至る。豈に宜しく權臣の脅す所と為るべけんや。罪を得るは吾が懼るるに非ざるなりと。
-
『宋名臣言行録』後集巻四・蔡襄慶暦の初め、永叔・安道・王素倶に諫官を除せらる。公詩を以て之を賀して曰く、御筆新たに除す三諫官、喧然として朝野競いて相い歡ぶ。當年流落するも丹心在り、古より忠良路を得ること難し。必ず謨謀有りて帝の右を禆けん、直だ須らく風采朝端を動かすべし。世間の萬事は倶に塵土、留め取れ功名久遠に看んと。三人なる者其の詩を以て上に薦む。尋いで亦た諫官を除せらる。