宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
大中祥符元年正月天書降于宫中承天門天子以改元六月又降于泰山是嵗十月封泰山間二嵗祀后土汾隂天子奉天書謹甚載以玉輅天書所行天子不敢當其道居無何復有神降于延恩殿號稱天尊天子親自見之上于是益崇飭祀事自天書始降則築昭應宫其後復置㑹靈景靈之屬祀老子于亳州天下無慮皆神事矣凖是時出為外官又不信天書上益疏凖最後知京兆府都監朱能復獻天書上以問王旦旦曰始不信天書者凖也今天書降凖所當令凖上之則百姓將大服而疑者不敢不信也上從之使中貴人逼凖朱能素事宦者周懐政而凖壻王曙居中與懐政善勸凖與能合凖始不肯曙固要凖凖亦因此復為中書侍郎同平章事天禧三年也
新字:大中祥符元年正月天書降于宫中承天門天子以改元六月又降于泰山是歳十月封泰山間二歳祀后土汾陰天子奉天書謹甚載以玉輅天書所行天子不敢当其道居無何復有神降于延恩殿号称天尊天子親自見之上于是益崇飭祀事自天書始降則築昭応宫其後復置会霊景霊之属祀老子于亳州天下無慮皆神事矣凖是時出為外官又不信天書上益疏凖最後知京兆府都監朱能復献天書上以問王旦旦曰始不信天書者凖也今天書降凖所当令凖上之則百姓将大服而疑者不敢不信也上従之使中貴人逼凖朱能素事宦者周懐政而凖壻王曙居中与懐政善勧凖与能合凖始不肯曙固要凖凖亦因此復為中書侍郎同平章事天禧三年也
書き下し
大中祥符元年正月、天書、宫中の承天門に降る。天子以て元を改む。六月、又た泰山に降る。是の歳十月、泰山に封ず。間二歳、后土を汾隂に祀る。天子、天書を奉ずること謹しむこと甚だし。載するに玉輅を以てす。天書の行く所、天子敢えて其の道に當たらず。居ること何ぞ無からんや。復た神の延恩殿に降る有り。號して天尊と稱す。天子親ら自ら之を見る。上是に於て益々祀事を崇飭す。天書の始めて降るより則ち昭應宫を築く。其の後、復た㑹靈・景靈の屬を置く。老子を亳州に祀る。天下、慮んぞ皆な神事ならざらんや。凖は是の時、出でて外官と為り、又た天書を信ぜず。上益々凖を疏んず。最後、京兆府を知る。都監朱能、復た天書を獻ず。上以て王旦に問う。旦曰く、始め天書を信ぜざる者は凖なり。今、天書の降るは凖の所當なり。凖をして之を上らしめば、則ち百姓將に大いに服し、而して疑う者敢えて信ぜずんばあらざらんと。上之に從う。中貴人をして凖に逼らしむ。朱能、素より宦者周懐政に事う。而して凖の壻王曙、中に居りて懐政と善し。凖に能と合するを勸む。凖始め肯んぜず。曙固く凖を要む。凖も亦た此に因りて復た中書侍郎同平章事と為る。天禧三年なり。
現代語訳
大中祥符元年正月、天書が宮中の承天門に降った。天子はそれによって年号を改めた。六月、また泰山に降った。その年の十月、泰山で封禅を行った。二年おいて、汾陰で后土を祀った。天子は天書を奉ずることがきわめて丁重であった。玉の車に載せた。天書の通る所では、天子はあえてその道の真ん中に立たなかった。ほどなく、また神が延恩殿に降った。天尊と称した。天子は自ら親しくこれを見た。帝はそこでますます祀りごとを盛んに整えた。天書がはじめて降ってから昭応宮を築いた。その後さらに会霊・景霊などの宮を置いた。老子を亳州に祀った。天下はことごとく神の事ばかりになった。寇準はこのとき地方官として出されており、そのうえ天書を信じなかった。帝はますます寇準を遠ざけた。最後に京兆府の長官となった。都監の朱能がまた天書を献じた。帝はそれを王旦に尋ねた。王旦は言った。「はじめ天書を信じなかったのは寇準です。いま天書が降ったのは寇準の管轄です。寇準にこれを奉らせれば、民は大いに服し、疑う者もあえて信じないわけにいかなくなります」。帝はそれに従った。宦官をやって寇準に迫らせた。朱能はもともと宦官の周懐政に仕えていた。そして寇準の婿の王曙は宮中にいて周懐政と親しかった。寇準に朱能と組むよう勧めた。寇準ははじめ承知しなかった。王曙は強く寇準に求めた。寇準もそれによって、ふたたび中書侍郎同平章事となった。天禧三年のことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻九・孫奭永興軍、上言す、朱能、天書を得たりと。真宗、自ら拜迎して宫に入る。公、河陽を知る。疏を上りて切諫す。以爲えらく、天且つ言無し。安んぞ書有るを得んやと。其の辭に云う有り、得來するは唯だ朱能よりし、崇信するは只だ陛下より聞くと。其の質直なること此くの如し。上も亦た之を責めず。頃くして朱能、果たして敗る。
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦契丹既に盟を受けて歸る。冦公每に自多の色有り。上と雖も亦た以て自得す。王欽若深く之を患う。一日、從容として上に言いて曰く、此れ春秋の城下の盟なり。諸侯すら猶お且つ之を恥ず。而るに陛下以て功と為す。臣竊かに取らずと。真宗愀然として樂しまずして曰く、之を奈何せんと。欽若、上の兵を厭うを度り、即ち謬りて曰く、陛下、兵を以て幽燕を取らば、乃ち恥を刷ぐ可しと。上曰く、河朔の生靈、始めて兵禍を免る。吾れ安んぞ能く此を為さん。其の次を思う可しと。欽若曰く、唯だ泰山に封禪する有り。以て四海を鎮服し、外國に誇示す可し。然れども古より封禪は當に天瑞を得て然る後に為す可きなりと。既にして又た曰く、天瑞は安んぞ必ず得可けんや。前代葢し人力を以て之を為す者有り。惟だ人主深く信じて之を崇奉し、以て天下に明示せば、則ち天瑞と異なる無きなりと。上乆しくして乃ち可とす。然れども旦方に相と為る。上心に之を憚りて曰く、王旦得て不可とする無からんやと。欽若曰く、臣、聖意を以て旦に諭すを得ば、宜しく不可なる無かるべしと。間に乘じて旦の為に之を言う。旦黽勉して從う。然れども上の意猶お未だ决せず。與に之を籌る者莫し。他日、晚に祕閤に幸す。唯だ杜鎬のみ方に直宿す。上驟かに之に問いて曰く、古に所謂る河圖洛書とは果たして何事ぞやと。鎬は老儒にして上㫖を測らず。漫りに之に應じて曰く、此れ聖人の神道を以て教えを設くるのみと。適々上の意と㑹す。上此れに由りて意決す。遂に旦を召して酒を内中に飲む。懽甚だし。賜うに樽酒を以てして曰く、此の酒極めて佳し。歸りて妻孥と之を共にせよと。既に歸りて之を發けば、乃ち珠子なり。是に由りて天書封禪等の事、旦復た異議あらず。旦、相と為りて才の人に過ぐる者有り。然れども此に至りて力爭する能わず。議者之を少とす。
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦冦凖、樞使と為り、當に罷むべし。人をして私かに公に使相と為らんことを求めしむ。公大いに驚きて曰く、將相の任、豈に求む可けんや。且つ吾れ私を受けずと。凖深く之を恨む。已にして制出でて凖を武勝軍節度使・同中書門下平章事に除す。凖入見して泣涕して曰く、陛下、臣を知るに非ずんば、何を以て此に至らんと。真宗具さに公の凖を薦むる所以を道う。凖始めて愧嘆して以て及ぶ可からずと為す。
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『宋名臣言行録』前集巻四・冦凖公、樞使と為り、利用副たり。公、其の武人なるを以て之を輕んず。事を議して合わざる者有れば、輙ち曰く、君は一夫のみ。豈に此の國家の大體を解せんやと。利用、是に由りて之を銜む。真宗將に劉氏を立てんとす。公及び王旦・向敏中、皆な諌議して、出づること側㣲に于いてすれば不可と為す。劉氏の宗人、蜀に横にして民の鹽井を奪う。上、后の故を以て之を捨てんと欲す。公固く法を行わんことを請う。時に上已に豫まず、記覽する能わず。政事、多く宫中の決する所なり。丁、曹・冦の平らかならざるを知り、遂に利用と合謀して公の政事を罷めんことを請い、太子太傅に除す。上、初め知らず。歳餘、忽ち左右に問う、吾が目中に乆しく冦凖を見ざるは何ぞやと。左右も亦た敢えて言わず。上崩じ、太后稱制す。公、再び雷州に貶せらる。
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