宋名臣言行録 / 後集巻四・胡宿
涇卒以折支不給出惡言欲為亂其後斬二人黥四人亂意乃息委公置獄治三司吏不時計度三司使䕶吏不肯遣公曰涇卒悖慢誠其罪然折支軍情所繫積八十五日而不與則三司豈得無罪耶陛下以包拯近臣不令置對可謂曲法申恩而拯猶不自省公拒制命臣恐主威不行而綱紀益廢矣拯懼立遣吏就獄
新字:涇卒以折支不給出悪言欲為乱其後斬二人黥四人乱意乃息委公置獄治三司吏不時計度三司使䕶吏不肯遣公曰涇卒悖慢誠其罪然折支軍情所繋積八十五日而不与則三司豈得無罪耶陛下以包拯近臣不令置対可謂曲法申恩而拯猶不自省公拒制命臣恐主威不行而綱紀益廃矣拯懼立遣吏就獄
書き下し
涇の卒、折支の給せられざるを以て惡言を出だし、亂を爲さんと欲す。其の後二人を斬り四人を黥して、亂の意乃ち息む。公に委ねて獄を置きて之を治めしむ。三司の吏時に計度せず。三司使吏を護りて遣るを肯んぜず。公曰く、涇の卒の悖慢は誠に其の罪なり。然れども折支は軍情の繫る所。積むこと八十五日にして與えざれば、則ち三司豈に罪無きを得んや。陛下は包拯の近臣なるを以て置對せしめず。曲法申恩と謂う可し。而して拯は猶お自ら省みず、公然と制命を拒む。臣恐る、主威行われずして綱紀益ミ廢せんことをと。拯懼れて立ちどころに吏を遣わして獄に就かしむ。
現代語訳
涇州の兵が、支給されるべき手当が渡されないことで悪態をつき、乱を起こそうとした。その後、二人を斬り四人に入れ墨を入れて、乱の気配はやんだ。胡宿に委ねて取り調べの場を設けさせた。三司の役人は期日どおりに計算処理をしなかった。三司使はその役人を庇って出頭させようとしなかった。胡宿は言った。「涇州の兵の無礼は、まことにその罪です。しかし手当は軍の気持ちの繋がっているところです。八十五日も溜めて渡さなかったのなら、三司にどうして罪がないと言えましょうか。陛下は包拯が側近であるからと、対決させておられません。法を曲げて恩を伸べたと言うべきです。それなのに包拯はなお自ら省みず、公然と勅命を拒んでいます。臣は恐れます、主上の威が行われず、綱紀がますます廃れることを」。包拯は恐れて、ただちに役人を出頭させて取り調べに就かせた。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』外篇・世運・氣化の罪に非ざるなり世界は一般に是れ唐虞の時の世界なり。黎民は一般に是れ唐虞の時の黎民なり。而るに治は古に若かず。氣化の罪に非ざるなり。
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『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
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