宋名臣言行録 / 前集巻七・种世衡
涇原葛懐敏定川之敗戎馬入縱于渭子仲淹領慶州蕃漢兵往扼邠城又召君分援涇原即時而赴羌兵從者數千人屬羌為吾用自此始君曰羌兵可用乃復教士人習弧矢以佐官軍由是縁邉諸城獨環不求増兵不煩益糧而武力自振夏戎聞屬羌不可誘又人皆善射烽火相望無日不備乃不復以環為意
新字:涇原葛懐敏定川之敗戎馬入縦于渭子仲淹領慶州蕃漢兵往扼邠城又召君分援涇原即時而赴羌兵従者数千人属羌為吾用自此始君曰羌兵可用乃復教士人習弧矢以佐官軍由是縁邉諸城独環不求増兵不煩益糧而武力自振夏戎聞属羌不可誘又人皆善射烽火相望無日不備乃不復以環為意
書き下し
涇原の葛懐敏、定川の敗、戎馬入りて渭に縱にす。子仲淹、慶州の蕃漢の兵を領して往きて邠城に扼す。又た君を召して涇原に分援せしむ。即時にして赴く。羌兵の從う者數千人。屬羌の吾が用と為るは、此れより始まる。君曰く、羌兵は用う可しと。乃ち復た士人に教えて弧矢を習わしめ、以て官軍を佐く。是に由りて縁邉の諸城、獨り環のみ増兵を求めず、益糧を煩わさずして、武力自ら振るう。夏戎、屬羌の誘う可からず、又た人皆な善く射るを聞く。烽火相い望み、日として備えざる無し。乃ち復た環を以て意と為さず。
現代語訳
涇原の葛懐敏が定川で敗れ、敵の馬が入って渭のあたりを踏み荒らした。范仲淹が慶州の蕃族と漢人の兵を率いて行って邠城で防いだ。さらに君を召して涇原へ分けて援けさせた。即座に赴いた。付き従った羌の兵は数千人。帰順した羌族が我が方のために働くのは、ここから始まる。君は言った。「羌の兵は用いることができる」。そこであらためて漢人にも弓矢を習わせ、それで官軍を助けさせた。これによって国境沿いの諸城のうち、環州だけが増兵を求めず、糧を増やす手間もかけずに、武力がおのずと振るった。西夏の者は、帰順した羌族が誘えないこと、そのうえ人がみな弓が上手いことを聞いた。烽火が互いに見渡せ、備えのない日がなかった。そこでもう環州を狙おうとは思わなくなった。
解説
数千人の羌の兵が付いて来た、という一行から始まる条です。**帰順した羌族が我が方のために働くのは、ここから始まる。**そして本人の見立て。**羌の兵は用いることができる。**そのうえで漢人にも弓を習わせて、両方で軍を支えました。結果が具体的です。**国境沿いの諸城のうち、環州だけが増兵を求めず、糧を増やす手間もかけずに、武力がおのずと振るった。**足さずに強くなった、という記録です。
この章句が説くこと
属羌の吾が用と為るは此れより始まる羌兵は用う可し乃ち復た士人に教えて弧矢を習わしむ独り環のみ増兵を求めず益糧を煩わさずして武力自ら振るう活用自前辺境
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