宋名臣言行録 / 後集巻五・范鎮
葬温成皇后太常議禮前謂之園後謂之陵宰相劉沆前為監䕶使後為園陵使公言嘗聞法吏舞法矣未聞禮官舞禮也請詰問前後議異同狀又請罷焚瘞錦綉珠玉以紓國用從之
新字:葬温成皇后太常議礼前謂之園後謂之陵宰相劉沆前為監䕶使後為園陵使公言嘗聞法吏舞法矣未聞礼官舞礼也請詰問前後議異同状又請罷焚瘞錦綉珠玉以紓国用従之
書き下し
溫成皇后を葬るに、太常禮を議す。前には之を園と謂い、後には之を陵と謂う。宰相劉沆、前には監護使と爲り、後には園陵使と爲る。公言う、嘗て法吏の法を舞わすを聞けり。未だ禮官の禮を舞わすを聞かず。前後の議の異同の狀を詰問せんことを請うと。又た錦繡珠玉を焚き瘞むるを罷めて以て國用を紓めんことを請う。之に從う。
現代語訳
温成皇后を葬るにあたり、太常が礼を議した。はじめはこれを「園」と呼び、後にはこれを「陵」と呼んだ。宰相の劉沆は、はじめは監護使となり、後には園陵使となった。范鎮は言った。「法を司る役人が法を弄ぶのは聞いたことがある。礼官が礼を弄ぶのは聞いたことがない。前後で議が食い違った経緯を、問い詰めていただきたい」。また錦や刺繍、珠玉を焼いて埋めるのをやめて、国の費用をゆるめるよう願った。これに従った。
解説
呼び名がいつのまにか格上げされていました。**はじめはこれを「園」と呼び、後にはこれを「陵」と呼んだ。**そして担当者の肩書きも、それに合わせて変わっています。**劉沆は、はじめは監護使となり、後には園陵使となった。**呼び名が変われば格式も費用も上がる。范鎮の一句は、その手口の名前を付けました。**法を司る役人が法を弄ぶのは聞いたことがある。礼官が礼を弄ぶのは聞いたことがない。**そして経緯の説明を求めています。
この章句が説くこと
前には之を園と謂い後には之を陵と謂う宰相劉沆前には監護使と為り後には園陵使と為る嘗て法吏の法を舞わすを聞けり未だ礼官の礼を舞わすを聞かず前後の議の異同の状を詰問せんことを請う儀礼恣意
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