宋名臣言行録 / 前集巻六・吕夷簡
景祐中公執政范文正以天章閣待制知開封府屢攻公之短坐落職知饒州康定元年復舊職知永興軍㑹公自大名復入相言于仁宗曰仲淹賢者朝廷將用之豈可但除舊職耶即除龍圖閣直學士陜西經略安撫副使上以公為長者天下亦以公不念舊惡文正面謝曰曏以公事忤犯相公不意相公乃爾奬拔公曰夷簡豈敢以舊事為念耶
新字:景祐中公執政范文正以天章閣待制知開封府屢攻公之短坐落職知饒州康定元年復旧職知永興軍会公自大名復入相言于仁宗曰仲淹賢者朝廷将用之豈可但除旧職耶即除竜図閣直学士陜西経略安撫副使上以公為長者天下亦以公不念旧悪文正面謝曰曏以公事忤犯相公不意相公乃爾奨抜公曰夷簡豈敢以旧事為念耶
書き下し
景祐中、公執政す。范文正、天章閣待制を以て開封府を知る。屢々公の短を攻む。坐して職を落とし饒州を知る。康定元年、舊職に復して永興軍を知る。㑹々公、大名より復た入りて相たり。仁宗に言いて曰く、仲淹は賢者なり。朝廷將に之を用いんとす。豈に但だ舊職を除する可けんやと。即ち龍圖閣直學士・陜西經略安撫副使に除す。上、公を以て長者と為す。天下も亦た公の舊惡を念わざるを以てす。文正、面のあたり謝して曰く、曏に公事を以て相公を忤犯す。意わざりき、相公乃ち爾く奬拔せんとはと。公曰く、夷簡、豈に敢えて舊事を以て念と為さんやと。
現代語訳
景祐年間、公が政を執っていた。范仲淹は天章閣待制として開封府の長官であった。たびたび公の短所を攻撃した。それによって職を落とされ、饒州の長官となった。康定元年、旧の職に復して永興軍の長官となった。ちょうど公が大名からふたたび都に入って宰相となった。仁宗に申し上げた。「范仲淹は賢者です。朝廷はこれから用いようとしています。どうして旧職に戻すだけでよいでしょうか」。すぐに龍図閣直学士・陝西経略安撫副使に任じた。帝は公を長者だとした。天下もまた、公が古い恨みを覚えていないことを称えた。范仲淹は面と向かって礼を述べて言った。「かつて公務のことで相公に逆らいました。相公がこれほど引き立ててくださるとは思いませんでした」。公は言った。「私がどうして古い事を心に留めたりしましょうか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
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説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
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尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
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人物志・材能寛弘の人は、宜しく郡国を為すべし。下をして其の功を施すを得しめて、其の事を総成す。急小の人は、宜しく百里を理むべし。事を己に辦ぜしむ。
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牧民忠告・事長夫れ天下を能くする者は、其の志必ず高く、其の至る所必ず遠し。昔某郡に新守有り、褊驁(へんごう)にして大いに其の下を礼せず、常に掾属(えんぞく)をして庭下に羅拝(らはい)せしむ。一賢掾有り、初め疾を以て告に在り、疾愈(い)えて当に庭参すべし。是の日偶(たま)たま大雨あり、守は傘を張り茅(かや)を庭下に布(し)かしめ、掾をして拝せしむ、掾恬然(てんぜん)として容(かたち)を動かさず、興伏(こうふく)惟(こ)れ謹めり。識者其の他日必ず宰相と為るを知るなり、後果たして然り。
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説苑・尊賢晋の文侯、地を行きて隧に登るに、大夫皆之を扶く。隨会扶けず。文侯曰く、「会よ、夫れ人臣為りて其の君を忍ぶ者は、其の罪奚如ん」と。対えて曰く、「其の罪重死なり」と。文侯曰く、「何をか重死と謂う」と。対えて曰く、「身死し、妻子戮せらる」と。隨会曰く、「君奚ぞ独り人臣為りて其の君を忍ぶ者を問いて、人君為りて其の臣を忍ぶ者を問わざるや」と。文侯曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、其の罪何如ん」と。隨会対えて曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、智士謀を為さず、弁士言を為さず、仁士行を為さず、勇士死を為さず」と。文侯綏を援きて車を下り、大夫に辞して曰く、「寡人に腰髀の病有り、願わくは諸大夫罪する勿かれ」と。