宋名臣言行録 / 前集巻一・趙普
王性深沈有岸谷多忌刻以吏道聞寡學術太祖嘗勸以讀書晚年手不釋巻為相以天下為已任沈毅果斷當世無與為比
新字:王性深沈有岸谷多忌刻以吏道聞寡学術太祖嘗勧以読書晩年手不釈巻為相以天下為已任沈毅果断当世無与為比
書き下し
王の性、深沈にして岸谷有り、忌刻なること多し。吏道を以て聞こえ、學術寡なし。太祖嘗て勸むるに讀書を以てす。晚年、手に巻を釋かず。相と為りて天下を以て已が任と為す。沈毅果斷、當世與に比を為す無し。
現代語訳
韓王の性質は、深く沈んでいて険しいところがあり、人を憎み責めることが多かった。実務の腕で知られたが、学問は乏しかった。太祖はかつて読書を勧めた。晩年は書物を手から離さなかった。宰相となってからは天下を自分の任務とした。落ち着いて意志が強く、決断ができ、当時これに並ぶ者はいなかった。
解説
趙普の人物評をひとまとめにした条です。険しく、人を責めることが多く、実務で知られたが学問は乏しかった。そこへ太祖が読書を勧めます。晩年は書物を手から離さなかった。この一行が、のちの「論語の半分で天下を治めた」という言い伝えにつながっていきます。欠点を先に並べ、途中で変わったことを一行だけ挟み、最後に評価を置く。人物ごとに編まれたこの書が、一人をどう締めくくるかが見える段です。
この章句が説くこと
吏道を以て聞こえ学術寡なし太祖嘗て勧むるに読書を以てす晩年手に巻を釈かず相と為りて天下を以て已が任と為す学び変化人物
関連する章句
-
『配所残筆』配所殘筆(7)同年丹羽左京大夫殿兼而我等に兵法御聞候、兵書之次而に莊子之講釋御所望候て、折々講談申上候、荒尾平八郎殿揖斐與左衞門殿など御聞候、其時分は我等事老子莊子之學を好候て講釋申上候、然に武田道安事明壽院に老莊相傳候、近代世上に莊子之講釋は無之、拙者讀候事無心許候間、一坐聞申度之由を淺野因州公御賴被申、因州公拙者へ御斷被成候て、道安事丹羽左京大夫殿亭にて一座仕候て、拙者莊子聞被申候、道安殊の外拙者を褒美不大方候、其段後迄因州公御咄に候、道安は醫師殊更學問も廣才無之候得共、明壽院以來に不承候由、別而褒美被仕候故、書付候事に候。
-
論語・衛霊公篇子曰く、「如之何、如之何と曰わざる者は、吾之を如何ともする末(な)きのみ。」
-
論語・憲問篇南宮适、孔子に問いて曰く、「羿は射を善くし、奡は舟を盪かす。倶に其の死を得ざりき。禹・稷は躬ら稼して天下を有てり。」夫子答えず。南宮适出づ。子曰く、「君子なるかな若き人。徳を尚ぶかな若き人。」
-
『墨子』經說下故に「牛馬は牛に非ざるなり」と曰うは、未だ可ならず。「牛馬は牛なり」も、未だ可ならず。則ち或いは可、或いは不可なり。而して「牛馬は牛なり、未だ可ならず」と曰うも、亦た不可なり。且つ牛は二ならず、馬は二ならず、而して牛馬は二なり。則ち牛は牛に非ずとせず、馬は馬に非ずとせず、而して牛馬は牛に非ず馬に非ずとするに難無し。彼。名を正す者は、彼此を彼此とするは可なり。彼を彼とするは彼に止まり、此を此とするは此に止まる。彼此、不可なるは、彼にして且つ此なればなり。彼此、亦た可なるは、彼此、彼此に止まればなり。是くの若くして彼此とせば、則ち彼も亦た且つ此を此とせん。唱えて過つこと無きは、周ねくする所無きなり、粺の若し。和して過つこと無きは、使わるるなり、已むを得ざるなり。唱えて和せざるは、是れ學ばざるなり。智少なくして學ばざれば、必ず寡し。和して唱えざるは、是れ教えざるなり。智ありて教えざれば、功、適に息む。人をして人の衣を奪わしむるは、罪、或いは輕く或いは重し。人をして人に酒を予えしむるは、或いは厚く或いは薄し。
-
論語・雍也篇子、子夏に謂いて曰く、女(なんじ)は君子の儒たれ、小人の儒たるなかれ。
-
論語・公冶長篇子、南容を謂う、「邦に道有れば廃せられず、邦に道無ければ刑戮を免る。」其の兄の子を以て之に妻あわす。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る