宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
真宗為皇太子太子諭徳見公稱太子學書有法公曰諭徳之職止于是邪
新字:真宗為皇太子太子諭徳見公称太子学書有法公曰諭徳之職止于是邪
書き下し
真宗皇太子と為る。太子諭徳、公に見えて、太子の書を學びて法有るを稱す。公曰く、諭徳の職、是に止まるのみかと。
現代語訳
真宗がまだ皇太子であったころ。太子諭徳の職にある者が公に会って、太子の書がよく学べていて筆法が整っていると称えた。公は言った。「諭徳という職は、それだけで終わるものなのか」。
解説
二十九字の一撃です。太子の教育係が「書が上手になった」と報告してきたのに対し、**諭徳という職は、それだけで終わるものなのか**と返しました。褒めてもいないし、叱ってもいない。職の名の意味を問い返しただけです。諭徳は徳を諭す職ですから、報告すべきは筆跡ではない、ということになります。次の条では張士遜が同じ話題で同じように受けています。
この章句が説くこと
諭徳の職是に止まるのみか太子諭徳公に見えて太子の書を学びて法有るを称す真宗皇太子と為る職責報告教育
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