宋名臣言行録 / 後集巻五・趙抃
徙青州因其俗朴厚臨以清淨時山東旱蝗自淄齊来及境遇風退飛墮水而盡
新字:徙青州因其俗朴厚臨以清浄時山東旱蝗自淄斉来及境遇風退飛堕水而尽
書き下し
青州に徙る。其の俗の朴厚なるに因り、臨むに清淨を以てす。時に山東旱蝗あり。淄・齊より來たりて境に及ぶ。風に遇いて退き飛び、水に墮ちて盡く。
現代語訳
青州に移った。その土地柄が素朴で人情に厚いのに合わせて、清らかで静かなやり方で臨んだ。当時、山東は旱と蝗の害があった。蝗は淄州・斉州から飛んで来て境に及んだ。風に遭って引き返して飛び、水に落ちて尽きた。
解説
三十一字です。土地に合わせて手を変えている、という一点だけが書いてあります。**その土地柄が素朴で人情に厚いのに合わせて、清らかで静かなやり方で臨んだ。**厳しく締めるべき土地と、静かにしておくべき土地がある。前の巻に、都で「鉄面御史」と呼ばれた人だとは思えない扱いです。同じ人が、相手に応じて全く違う顔を出しています。後半の蝗の話は、良い長官が着任した年の記録の型です。
この章句が説くこと
青州に徙る其の俗の朴厚なるに因り臨むに清浄を以てす時に山東旱蝗あり淄斉より来たりて境に及ぶ風に遇いて退き飛び水に堕ちて尽く風土無為
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