宋名臣言行録 / 前集巻十・蘇洵
東坡中制科王荆公問吕申公見蘇軾制䇿否全類戰國文章若安石為考官必黜之故荆公後修英宗實錄謂蘇明允為戰國縱横之學云
新字:東坡中制科王荆公問呂申公見蘇軾制策否全類戦国文章若安石為考官必黜之故荆公後修英宗実録謂蘇明允為戦国縦横之学云
書き下し
東坡、制科に中る。王荆公、吕申公に問う、蘇軾の制策を見しやと。全く戰國の文章に類す、若し安石考官爲らば、必ず之を黜けんと。故に荆公後に英宗實錄を修むるに、蘇明允を謂いて戰國縱横の學と爲すと云う。
現代語訳
蘇軾が制科に及第した。王安石が呂公著に尋ねた。「蘇軾の対策の文を見たか」。そして言った。「まったく戦国の文章のたぐいだ。もし私が試験官であったなら、必ず落としていた」。だから王安石は後に『英宗実録』を編むとき、蘇洵を評して戦国の縦横家の学だと書いたのである。
解説
息子への評が、そのまま父への評として公の記録に書き込まれた条です。**もし私が試験官であったなら、必ず落としていた。**そして『英宗実録』を編む立場になったとき、**蘇洵を戦国の縦横家の学だと書いた。**六八四で蘇洵は王安石を「人情に近くない者」と書き、王安石は蘇洵を「縦横家」と書いた。互いの評が、一方は私の文章に、一方は国の記録に残っています。編者はどちらが正しいとも言わずに並べました。
この章句が説くこと
全く戦国の文章に類す若し安石考官為らば必ず之を黜けん荆公後に英宗実録を修む蘇明允を謂いて戦国縦横の学と為す評価記録応酬
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