宋名臣言行録 / 前集巻六・程琳
公知開封㑹禁中大火延兩宫宦者治獄得縫人火斗已誣伏而下府命公具獄公立辨其非禁中不得入乃命工圖火所經而後宫人多而居隘其烓竈近版壁嵗乆燥而焚曰此豈一日火哉乃建言此殆天灾也不宜以罪人上為緩其獄卒無死者
新字:公知開封会禁中大火延両宫宦者治獄得縫人火斗已誣伏而下府命公具獄公立弁其非禁中不得入乃命工図火所経而後宫人多而居隘其烓竈近版壁歳乆燥而焚曰此豈一日火哉乃建言此殆天灾也不宜以罪人上為緩其獄卒無死者
書き下し
公、開封を知る。㑹々禁中大いに火あり。兩宫に延ぶ。宦者、獄を治めて縫人の火斗を得たり。已に誣伏す。而して府に下して公に獄を具えしむ。公立ちどころに其の非なるを辨ず。禁中は入るを得ず。乃ち工に命じて火の經る所を圖せしむ。而る後、宫人多くして居狹く、其の烓竈、版壁に近く、歳乆しくして燥き、而して焚くるを知る。曰く、此れ豈に一日の火ならんやと。乃ち建言す、此れ殆ど天灾なり。宜しく人を罪するを以てすべからずと。上、為に其の獄を緩くす。卒に死する者無し。
現代語訳
公が開封の長官であった。ちょうど宮中で大火があった。二つの宮に燃え広がった。宦官が取り調べて、縫子の火熨斗を突き止めた。すでに偽りの自白をしていた。そして府に下して公に裁きの書類を整えさせた。公はただちにそれが違うと見抜いた。宮中には入れなかった。そこで工人に命じて、火の通った経路を図に描かせた。そのうえで、宮女が多くて住まいが狭く、その竈が板壁に近く、年久しく乾いて、それで燃えたのだと知った。言った。「これがどうして一日でできた火だろうか」。そこで進言した。これはおそらく天災です。人を罪に問うべきではありません、と。帝はそのために裁きを緩めた。ついに死ぬ者は無かった。
解説
自白が取れていた事件を、覆した条です。宮中には入れません。**そこで工人に命じて、火の通った経路を図に描かせた。**現場に入れないなら、現場を紙に起こす。そこから、宮女が多くて狭く、竈が板壁に近く、年久しく乾いていたことが見えました。決め手の一言がこれです。**これがどうして一日でできた火だろうか。**長い年月かけて作られた条件だ、と。天災として処理され、死者は出ませんでした。
この章句が説くこと
乃ち工に命じて火の経る所を図せしむ其の烓竈版壁に近く歳乆しくして燥きて焚く此れ豈に一日の火ならんや冤罪現場原因
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦宮禁火災あり。公馳せ入りて對す。上驚惶して公に語りて曰く、兩朝の積む所、朕妄りに費やさず。一朝にして殆ど盡く。誠に惜しむ可しと。公對えて曰く、陛下は富みて天下を有つ。財帛は憂うるに足らず。慮る所の者は、政令・賞罰に不當有るなり。臣、宰相に位を備う。天災此くの如し。臣當に罷免さるべしと。繼いで表を上りて罪を待つ。上乃ち詔を降して己を罪し、中外の封事を上りて朝政の得失を言うを許す。後、大臣の、天災に非ず、乃ち某王の宮の失火なりと言う有り。獄を置きて其の狀を出ださんことを請う。當に斬決すべき者數百人なり。公持して以て歸る。翌日、獨對を乞いて曰く、初め火災あり。陛下詔を降して己を罪す。臣は表を上りて罪を待つ。今、反って咎を人に歸せば、何を以て信を示さん。且つ火に迹有りと雖も、寧んぞ天譴に非ざるを知らんや。果たして法を行わんと欲せば、願わくは臣を罪して、始めて以て無狀を明らかにせよと。上欣然として聴納す。死を減ずる者幾ど百輩なり。
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