宋名臣言行録 / 後集巻五・趙抃
賈昌朝以使相判大名府公欲按視府庫昌朝遣其屬來告曰前此監司未有按視吾事者公雖欲舉職恐事有不應例奈何公曰舍大名則郡不服矣即往視之昌朝初不悦也前此有詔募義勇過期不足者徒二年州郡不時辦官吏當坐者八百餘人公被㫖督其事奏言河朔嵗豐熟故募不如數請寛其罪以俟農隙從之坐者得免而募亦隨足昌朝乃愧服曰名不虛得矣
新字:賈昌朝以使相判大名府公欲按視府庫昌朝遣其属来告曰前此監司未有按視吾事者公雖欲舉職恐事有不応例奈何公曰舎大名則郡不服矣即往視之昌朝初不悦也前此有詔募義勇過期不足者徒二年州郡不時辦官吏当坐者八百余人公被旨督其事奏言河朔歳豊熟故募不如数請寛其罪以俟農隙従之坐者得免而募亦随足昌朝乃愧服曰名不虚得矣
書き下し
賈昌朝使相を以て大名府を判ず。公府庫を按視せんと欲す。昌朝其の屬を遣わして來たり告げしめて曰く、此より前、監司に吾が事を按視する者未だ有らず。公職を舉げんと欲すと雖も、恐らくは事に例に應ぜざる有らん。奈何と。公曰く、大名を舍てば則ち郡服せずと。即ち往きて之を視る。昌朝初め悦ばず。此より前、詔有りて義勇を募る。期を過ぎて足らざる者は徒二年とす。州郡時に辦ぜず、官吏の當に坐すべき者八百餘人なり。公旨を被りて其の事を督す。奏して言う、河朔は歳豐熟す。故に募ること數の如くならず。其の罪を寬くして以て農隙を俟たんことを請うと。之に從う。坐する者免るるを得て、募も亦た隨いて足る。昌朝乃ち愧服して曰く、名は虚しく得ざるなりと。
現代語訳
賈昌朝が使相の資格で大名府を主管した。趙抃は府の倉庫を検査しようとした。賈昌朝はその属官を遣わして告げさせた。「これまで、監司でわが府の事を検査した者はおりません。公が職務を果たそうとされるにせよ、おそらく先例に合わない事もありましょう。いかがか」。趙抃は言った。「大名を除いたら、ほかの郡が従わなくなる」。すぐ出向いて検査した。賈昌朝ははじめ面白く思わなかった。これより前、詔があって義勇兵を募った。期限を過ぎて数が足りない者は徒刑二年とされた。州や郡は期日どおりに処理できず、連座すべき官吏は八百余人に及んだ。趙抃は詔を受けてその事を督励した。上奏して言った。「河朔は今年豊作でした。だから募集が数のとおりにいかなかったのです。その罪をゆるめて、農閑期を待つようお願いします」。これに従った。連座する者は免れることができ、募集もそれに従って満たされた。賈昌朝はそこで恥じ入って服し、言った。「その名声は空しく得たものではない」。
解説
この章句が説くこと
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論語・衛霊公篇子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず。
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『韓非子』備內第十七殺しては必ず當り、罪は赦さず、則ち姦邪、其の私を容るる所無し。
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孫子・九変篇故に将、九変の利に通ずる者は、用兵を知る。将、九変の利に通ぜざれば、地形を知ると雖も、地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざれば、地利を知ると雖も、人の用を得ること能わず。
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『宋名臣言行録』前集巻一・趙普太平興國中、朝士の祖吉、郡を典り奸贓事覺れて獄に下る。時に郊禮將に近づかんとす。太宗其の貪墨を怒り、百執政に諭して特に郊赦をして宥さざらしむ。普奏して曰く、官を敗り罪に抵るは、宜しく刑辟を正すべし。然れども國家の郊を卜し類に肆ぐは、天地に對越し、休を神明に告ぐる所以なり。吉本と何人ぞ。安んぞ以て陛下の赦令を隳改するに足らんやと。上其の對を善しとして止む。
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦宦者劉承規、忠謹を以て幸を得たり。病みて且に死せんとし、節度使と為らんことを求む。真宗、以て公に語りて曰く、承規は此を待ちて以て目を瞑らんとすと。公執りて以て不可と為して曰く、他日將に樞宻使と為らんことを求むる者有らんとす。奈何せんと。今に至るまで内臣の官、留後に過ぎず。