宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
未幾御史中丞吕公著亦言青苗非便安石欲黜之上曰須别坐事令出既而又曰公著言韓琦近有章䟽朝廷亦當聽納自古執政若與藩臣生間隙至有舉晉陽之甲以逐君側之惡者安石遽曰只此可逐矣公著遂坐誣大臣欲舉晉陽之甲罷知蔡州諌官孫覺聞之曰此言覺嘗奏之今貶公著誤也公既以言忤權臣又公著告詞明坐所因公益恐悚遂以疾上章乞知徐州章四上神宗遣内侍李舜舉慰諭之乃止
新字:未幾御史中丞呂公著亦言青苗非便安石欲黜之上曰須別坐事令出既而又曰公著言韓琦近有章䟽朝廷亦当聴納自古執政若与藩臣生間隙至有舉晋陽之甲以逐君側之悪者安石遽曰只此可逐矣公著遂坐誣大臣欲舉晋陽之甲罷知蔡州諌官孫覚聞之曰此言覚嘗奏之今貶公著誤也公既以言忤権臣又公著告詞明坐所因公益恐悚遂以疾上章乞知徐州章四上神宗遣内侍李舜舉慰諭之乃止
書き下し
未だ幾ならずして、御史中丞呂公著も亦た青苗の便に非ざるを言う。安石之を黜けんと欲す。上曰く、須らく別に事に坐して出でしむべしと。既にして又た曰く、公著言う、韓琦近ごろ章疏有り、朝廷も亦た當に聽納すべし。古より執政若し藩臣と間隙を生ぜば、晉陽の甲を舉げて以て君側の惡を逐う者有るに至ると。安石遽かに曰く、只だ此れ逐う可しと。公著遂に大臣を誣いて晉陽の甲を舉げんと欲すに坐し、罷めて蔡州を知らしむ。諫官孫覺之を聞きて曰く、此の言は覺嘗て之を奏す。今公著を貶するは誤りなりと。公既に言を以て權臣に忤らい、又た公著の告詞に因る所を明らかに坐す。公益ミ恐悚し、遂に疾を以て章を上りて徐州を知らんことを乞う。章四たび上る。神宗内侍李舜舉を遣わして之を慰諭す。乃ち止む。
現代語訳
ほどなくして、御史中丞の呂公著もまた青苗法がよろしくないことを言った。安石はこれを退けようとした。天子は言った。「別の事件に引っかけて出さねばならぬ」。やがてまた言った。「公著はこう言った。韓琦が近ごろ上疏している、朝廷もこれを聴き入れるべきだ。古来、執政がもし地方の臣とのあいだに隙を生じたときは、晋陽の兵を挙げて君側の悪を除いた者まで出ている、と」。安石はすかさず言った。「まさにこれで追い出せます」。呉公著はついに「大臣を誣告して晋陽の兵を挙げようとした」という罪に問われ、免ぜられて蔡州の知事とされた。諫官の孫覚はこれを聞いて言った。「この言葉は、私がかつて奏したものだ。いま公著を貶めるのは誤りである」。韓琦はすでに発言によって権臣に逆らっており、そのうえ呂公著の罷免の文言に、その原因がはっきりと書かれていた。韓琦はいよいよ恐れかしこまり、そこで病と称して上章し、徐州の知事を願い出た。章は四度上った。神宗は内侍の李舜挙を遣わして慰めさとした。それでやんだ。
解説
この章句が説くこと
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