宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
劉從愿妻遂國夫人者王䝉正女也寳元中出入内廷或云得幸於上外人無不知者以此獲罪奪封罷朝謁久之得復入張安道為諌官再以䟽論列皆中留公時知制誥制下復遂國之封公繳還詞頭封命遂寢唐制惟給事中得封還詔書中書舍人繳還詞頭盖自公始安道見吕申公公猶以非舊典不樂二公之不相喜皆此類
新字:劉従愿妻遂国夫人者王䝉正女也宝元中出入内廷或云得幸於上外人無不知者以此獲罪奪封罷朝謁久之得復入張安道為諌官再以䟽論列皆中留公時知制誥制下復遂国之封公繳還詞頭封命遂寝唐制惟給事中得封還詔書中書舎人繳還詞頭盖自公始安道見呂申公公猶以非旧典不楽二公之不相喜皆此類
書き下し
劉從愿の妻遂國夫人なる者は、王蒙正の女なり。寶元中、内廷に出入す。或いは云う、上に幸を得たりと。外人知らざる無し。此を以て罪を獲、封を奪われ朝謁を罷めらる。之を久しくして復た入るを得たり。張安道諫官と爲り、再び疏を以て論列す。皆中に留めらる。公時に知制誥たり。制下りて遂國の封を復す。公詞頭を繳還す。封命遂に寢む。唐の制、惟だ給事中のみ詔書を封じ還すを得たり。中書舍人の詞頭を繳還するは、蓋し公より始まる。安道、呂申公に見ゆるに、公猶お舊典に非ずと以て樂しまず。二公の相い喜ばざるは、皆此の類なり。
現代語訳
劉従愿の妻の遂国夫人は、王蒙正の娘である。宝元年間、内廷に出入りしていた。天子の寵を得ているという者もあり、外の人で知らぬ者はいなかった。これによって罪を得て、封号を奪われ、朝への参列を止められた。久しくして再び出入りを許された。張方平が諫官となり、二度にわたって上疏して論じ立てたが、いずれも宮中に留め置かれた。富弼はそのとき知制誥であった。詔が下って遂国夫人の封号を復すことになった。富弼は詔書の草案の指示書きを突き返した。封号を与える命はついにやんだ。唐の制度では、ただ給事中だけが詔書を封じて返すことができた。中書舎人が草案の指示書きを突き返すのは、思うに富弼から始まった。張方平が呂夷簡に会ったとき、富弼はなお旧来の典礼に反するとして快く思わなかった。二人が互いに喜ばなかったのは、みなこの類である。
解説
この章句が説くこと
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『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
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『政談』公儀御身上の制度の事抑々諸矦には其土地を全く賜はるに、土産を上る道理は如何のことそと云ふに、五穀と人民とは何れの国にても皆ある者なる故、其土地を下し置るゝ上は年貢米と夫役とは其君の所格となる、偖其外の諸物は土地に随ひて各別にすくれたる所ありて諸国一様にあらざる故、土産の貢の上一人に上ること是れ少しも無理なることにあらす、道理の当然古今の定法なり、然れは当時の諸大名は古の諸矦なれは土産の貢を奉るべきこと例と云ひ道理と云ひ献せすして叶はさることなるを、当時其沙汰なきことは室町家の末に至り天下乱れて武家国郡を押領し、年久しき郡県の作法なる租庸調をだにも奉らねは、增て土産の貢にも及はす、其後太閤秀吉公天下を一統まし〳〵けれとも、文盲にして其仔細を知り玉はす、御当家になりては大坂御陣の翌年東照宮御他界なる故、此制度定め玉はぬを例として大名は貢を出さぬものと心得居ること大なるひがことなり、
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『玉勝間』四の巻 法親王のはじめ続世継に、覚行法親王の御事を申していわく、わらわにても親王の御名え給わねども、親王の宣旨こうぶり給えり。後二条のおとど、出家の後は、例無きよし侍りけれども、白川院、内親王と云う事も有れば、法親王もなどか無からんとて、始めて法師の後、親王と聞こえ給いしなり。かくて後ぞ、打ち続きいづくにも、出家ののちの親王きこえ給うめる、と有り。法内親王の御例は、今の世までも、いまだおわしまさず。
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、
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尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。

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