宋名臣言行録 / 前集巻一・呂䝉正
䝉正不喜記人過初參知政事入朝堂有朝士於簾内指之曰是小子亦參政邪䝉正徉為不聞而過之其同列怒令詰其官位姓名䝉正遽止之曰若一知其姓名則終身不能復忘固不如無知也且不問之何損時皆服其量
新字:䝉正不喜記人過初参知政事入朝堂有朝士於簾内指之曰是小子亦参政邪䝉正徉為不聞而過之其同列怒令詰其官位姓名䝉正遽止之曰若一知其姓名則終身不能復忘固不如無知也且不問之何損時皆服其量
書き下し
䝉正、人の過ちを記するを喜ばず。初めて參知政事となりて朝堂に入る。朝士の簾内に於て之を指して曰く、是の小子も亦た參政するかと。䝉正徉りて聞かざるを為して之を過ぐ。其の同列怒り、其の官位姓名を詰らしむ。䝉正遽かに之を止めて曰く、若し一たび其の姓名を知らば、則ち終身復た忘るる能わず。固より知る無きに如かず。且つ之を問わざるも何の損かあらんと。時に皆な其の量に服す。
現代語訳
呂蒙正は人の過ちを覚えておくことを好まなかった。はじめて参知政事となって朝堂に入ったとき、ある朝廷の官人が簾の内から彼を指してこう言った。「この小僧も参政になるのか」。呂蒙正は聞こえないふりをして通り過ぎた。同僚たちは怒って、その者の官位と姓名を問いただそうとした。呂蒙正はすぐにそれを止めて言った。「もし一度その姓名を知ってしまえば、生涯忘れられなくなる。もとより知らないほうがよい。それに問わなくても何の損があろう」。当時の人はみなその度量に感服した。
解説
侮辱の主を突き止めようとした同僚を、その場で止めた条です。理由が自分の側に向いています。**一度その姓名を知ってしまえば、生涯忘れられなくなる。**相手を許すという話ではありません。自分が抱え込むことになるものを、はじめから入れないという話です。それに問わなくても何の損もない、と実利まで添えている。趙普が昔の恨みを晴らそうとして止められた条と、対に置いて読める一条です。
この章句が説くこと
若し一たび其の姓名を知らば則ち終身復た忘るる能わず固より知る無きに如かず且つ之を問わざるも何の損かあらん䝉正人の過ちを記するを喜ばず度量忘却侮辱
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