宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
元符中用侍臣之薦擢居諌垣從人望也是時哲宗皇帝勵精求治用賢如不及一見即以公輔期之嘉言入告無不從者適中宮虚位之久大臣欲自結於嬖暱為保位之謀迎意媚合不以正公力言之以為公議不允忤上㫖姦諛之徒惡其害巳相與協力擠之於䧟阱之中又下石焉皆是也
新字:元符中用侍臣之薦擢居諌垣従人望也是時哲宗皇帝勵精求治用賢如不及一見即以公輔期之嘉言入告無不従者適中宮虚位之久大臣欲自結於嬖暱為保位之謀迎意媚合不以正公力言之以為公議不允忤上旨姦諛之徒悪其害巳相与協力擠之於䧟阱之中又下石焉皆是也
書き下し
元符中、侍臣の薦を用いて擢でて諫垣に居らしむ。人望に從うなり。是の時哲宗皇帝精を勵まして治を求め、賢を用うること及ばざるが如し。一たび見て即ち公輔を以て之に期す。嘉言入り吿げて從わざる者無し。適ミ中宮位を虚しくすること久し。大臣自ら嬖暱に結びて位を保つの謀を爲さんと欲し、意を迎え媚び合わせて正しきを以てせず。公力めて之を言い、以爲えらく公議允かならずと。上旨に忤らう。姦諛の徒其の己を害するを惡み、相い與に力を協せて之を陷阱の中に擠す。又た石を下す。皆な是れなり。
現代語訳
元符年間、侍臣の推薦によって抜擢され、諫官の任に置かれた。世の期待に従ったのである。当時、哲宗皇帝は精励して治世を求め、賢者を用いることが間に合わないかのようであった。一目見ただけで、すぐに宰相の器として期待した。よい進言が届けば、従わないということがなかった。ちょうど皇后の位が長く空いていた。大臣たちは自ら寵愛される者に取り入って地位を保つ策を立てようとし、天子の意を迎えて媚び合わせ、正しさによって進言しなかった。鄒浩は力を尽くしてこれを述べ、世の議論が納得していないと申し上げた。天子の意向に逆らうことになった。よこしまで諂う者たちは、鄒浩が自分たちの妨げになるのを憎み、力を合わせて彼を落とし穴のなかに突き落とした。そのうえで石まで投げ落とした。みなそういうことである。
解説
すべてが順調に見える出だしです。天子は熱心で、進言はよく通っていました。**よい進言が届けば、従わないということがなかった。**風向きが変わったのは、人事に私情が絡む一件でした。**大臣たちは自ら寵愛される者に取り入って地位を保つ策を立てようとし、天子の意を迎えて媚び合わせ、正しさによって進言しなかった。**一人だけ違うことを言えば、その一人が外れます。**力を合わせて彼を落とし穴のなかに突き落とした。そのうえで石まで投げ落とした。**
この章句が説くこと
元符中侍臣の薦を用いて擢でて諫垣に居らしむ人望に従うなり嘉言入り吿げて従わざる者無し大臣自ら嬖暱に結びて位を保つの謀を為さんと欲し意を迎え媚び合わせて正しきを以てせず相い与に力を協せて之を陥阱の中に擠す又た石を下す諫官迎合
関連する章句
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尚書・說命中惟れ治乱は庶官に在り。官は私昵に及ぼさず、惟れ其の能のみ。爵は悪徳に及ぼす罔く、惟れ其の賢のみ。
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