宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
公判留臺時一時耆舊多在洛公與司馬公皆好客而家貧相約為真率㑹脱粟一飯酒數行過從不間一日洛中誇以為勝事
新字:公判留台時一時耆旧多在洛公与司馬公皆好客而家貧相約為真率会脱粟一飯酒数行過従不間一日洛中誇以為勝事
書き下し
公留臺を判せし時、一時の耆舊多く洛に在り。公と司馬公と皆客を好み、而して家貧し。相い約して眞率會を爲す。脱粟の一飯、酒數行。過從して一日も間てず。洛中誇りて以て勝事と爲す。
現代語訳
公が留台を務めていたとき、その時期の古参の人々は多く洛陽にいた。公と司馬光はどちらも客を好み、しかも家が貧しかった。互いに約束して「真率会」を作った。玄米の飯一膳、酒は数杯。行き来して一日も間を空けなかった。洛中はこれを誇って、優れた事だとした。
解説
客を好むことと、家が貧しいことは、ふつう両立しません。だから多くの人は、どちらかをやめます。この二人は、もてなしの中身のほうを先に決めました。玄米の飯一膳、酒は数杯。あらかじめ約束にしてしまえば、誰も気を遣いません。招く側は用意ができ、招かれる側も返礼に困らない。だから続きます。行き来して一日も間を空けなかった。
この章句が説くこと
公留台を判せし時一時の耆旧多く洛に在り公と司馬公と皆客を好み而して家貧し相い約して真率会を為す脱粟の一飯酒数行過従して一日も間てず洛中誇りて以て勝事と為す交際貧
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