宋名臣言行録 / 前集巻九・孫甫
蘓内翰答李薦書云錄示孫之翰唐論僕不識之翰今見此書凛然得其為人至論褚遂良不譛劉洎太子瑛之廢由張説張廵之敗由房琯李光弼不當圖史思明宣宗有小善而無人君大略皆舊史所不及也
新字:蘓内翰答李薦書云録示孫之翰唐論僕不識之翰今見此書凛然得其為人至論褚遂良不譛劉洎太子瑛之廃由張説張廵之敗由房琯李光弼不当図史思明宣宗有小善而無人君大略皆旧史所不及也
書き下し
蘓内翰、李薦に答うる書に云う、孫之翰の唐論を錄示せらる。僕、之翰を識らず。今、此の書を見て凛然として其の人と爲りを得たり。褚遂良の劉洎を譛らざる、太子瑛の廢は張説に由る、張廵の敗は房琯に由る、李光弼は史思明を圖るに當たらず、宣宗に小善有るも人君の大略無しと論ずるに至るは、皆な舊史の及ばざる所なりと。
現代語訳
蘇軾が李薦に答えた書状にこう言った。「孫甫の『唐論』を写して見せていただいた。私は孫甫を知らない。いまこの書を見て、身が引き締まる思いでその人となりを掴んだ。褚遂良が劉洎を讒言しなかったこと、太子瑛の廃立は張説によること、張巡の敗北は房琯によること、李光弼は史思明を図るべきではなかったこと、宣宗には小さな善はあっても君主としての大きな見識が無かったこと——こう論じているところは、みな旧来の史書の及ばないところである」。
解説
会ったことのない人を、書いたものから掴んだ条です。**私は孫甫を知らない。いまこの書を見て、身が引き締まる思いでその人となりを掴んだ。**そして挙げた五つが、どれも定説をひっくり返すものでした。讒言したとされる人がしていなかった、敗北の責任が別の人にあった、名君とされる人に大きな見識が無かった。**みな旧来の史書の及ばないところである。**人に見せなかった原稿が、こうして届いています。
この章句が説くこと
僕之翰を識らず今此の書を見て凛然として其の人と為りを得たり褚遂良の劉洎を譛らざる張廵の敗は房琯に由る宣宗に小善有るも人君の大略無し皆な旧史の及ばざる所なり著述人物定説
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