宋名臣言行録 / 前集巻三・陳恕
恕為三司使將立茶法召茶商數十人俾各條利害公閲之第為三等語副使宋太初曰吾觀上等之説取利太深此可行于商賈而不可行于朝廷下等固滅裂無取唯中等之説公私皆濟吾裁損之可以經乆于是始為三説法行之數年貨財流通公用足而民富實世言三司使之才以恕為稱首後李諮為使改其法而茶利浸失後雖屢變非公之舊法也
新字:恕為三司使将立茶法召茶商数十人俾各条利害公閲之第為三等語副使宋太初曰吾観上等之説取利太深此可行于商賈而不可行于朝廷下等固滅裂無取唯中等之説公私皆済吾裁損之可以経久于是始為三説法行之数年貨財流通公用足而民富実世言三司使之才以恕為称首後李諮為使改其法而茶利浸失後雖屡変非公之旧法也
書き下し
恕、三司使と為り、將に茶法を立てんとす。茶商數十人を召し、各々利害を條せしむ。公之を閲し、第して三等と為す。副使宋太初に語りて曰く、吾れ上等の説を觀るに、利を取ること太だ深し。此れ商賈に行う可くして朝廷に行う可からず。下等は固より滅裂にして取る無し。唯だ中等の説のみ公私皆な濟う。吾れ之を裁損せば、以て乆しきを經る可しと。是に於て始めて三説法を為して之を行う。數年、貨財流通し、公用足りて民富み實つ。世に三司使の才を言うに、恕を以て稱首と為す。後、李諮使と為りて其の法を改む。而して茶利浸く失う。後、屢々變ずと雖も、公の舊法に非ざるなり。
現代語訳
陳恕は三司使となって、茶の法を定めようとした。茶商数十人を召して、それぞれ利害を箇条にして述べさせた。公はそれを閲覧し、順を付けて三等に分けた。副使の宋太初に言った。「私が上等の説を見るに、利の取り方が深すぎる。これは商人には行えても、朝廷には行えない。下等はもとより粗末で採るところがない。ただ中等の説だけが、公も私も救われる。私がこれを削り整えれば、長く続けられるだろう」。そこではじめて三説法を作って施行した。数年で財貨が流通し、公の費用は足りて民も富み満ちた。世に三司使の才を言うとき、陳恕を第一に挙げる。後に李諮が三司使となってその法を改めた。そして茶の利はしだいに失われた。後にたびたび改められたが、公の旧法ではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』七雄略〔荀悦曰く「古の国を建つるに或いは小、或いは大なる者は、前の弊を監みて、変じて之を通ずるなり。夏・殷の時は、蓋し百里に過ぎず。故に諸侯微にして天子強し。桀・紂は其の虐害を肆にするを得たり。紂は鄂侯を脯にして鬼侯を醢にし、文王の盛徳を以てするも、羑里を免れず。周は其の弊を承け、故に大国を建て、方五百里。諸侯を崇寵して自ら損する所以なり。其の末流に至りて、諸侯強大にして、更々相侵伐し、而して周室卑微にして、禍難用て作る。秦は其の弊を承け、其の制を正して以て其の中を求むること能わず、遂に諸侯を廃し、改めて郡県と為し、以て威権を壱にし、以て天下を専らにす。其の意は主として自ら為にし、以て人の為にするに非ざるなり。故に秦は海内の勢いを擅にするを得て、拘忌する所無く、肆に奢淫を行い、天下に暴虐す。然れども十四年にして滅ぶ。故に人主道を失えば、則ち天下遍く其の害を被り、百姓一たび乱るれば、則ち魚爛土崩し、之を匡救する莫し。漢興りて、周・秦の弊を承け、故に雑えて之を用う。然れども六王・七国の難は、誠に之を強大に失うにして、諸侯の国を治むるの咎に非ず」と。〕
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『弁道』第四則中庸に「性に率ふ之を道と謂ふ」と曰ふが如きは、是の時に当たりて老氏の説興り、聖人の道を貶して偽と為す。故に子思書を著して以て吾が儒を張る。亦た先王人性に率ひて是の道を作為すと謂ふなり。天地自然に是の道有りと謂ふに非ざるなり。亦た人性の自然に率ひて作為を仮らずと謂ふに非ざるなり。譬へば木を伐りて宮室を作るが如し。亦た木性に率ひて以て之を造るのみ。然りと雖も、宮室豈に木の自然ならんや。大氐自然にして然る者は天地の道なり。営為運用する所有る者は人の性なり。後儒察せず、乃ち天理自然を以て道と為す。豈に老荘の帰ならずや。
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『徂徠先生答問書』卷下一官府事務の文字の事御申越候。通典律令の類御覧不被成候へば済不申物に候。異朝の歴代は、代々の制法に替有之候。皆其代其代の開祖の君の料簡にて世界全体の組立に替り有之候故、制法替有之候。是を会得不申候へば其時代の事済不申候故。歴史を見候ても得と済不申物に候。三代の事経書の上は、周礼儀礼々記済不申候へば見え分れ不申候。日本の事跡も、律令延喜式を見不申候へば、公家の代の事は済不申候。右のごとく異国代々の制度の替日本の昔の制度の替を存知候へば、今日当代の上も此処異国と替り、其処昔公家の代と替候と申事明に相知れ申候故、今日の政務の上明に罷成事に候。四書近思録等の理学の書計見候人は、事務の違を不存候故、正真の胡椒丸呑とやらん申物にて候。序に申進候。唐太宗の政務宜敷天下治り候験を斗米三銭と有之候。一斗の米を三文に売申候事に候。近年米価少下直に罷成候へば、武家町人百姓共に困急以の外に候。かやうの違は如何様の儀に候哉。是皆制度の替りより世界の模様にも格別に成行候事に候。官府事務の文字の事被仰下候儀能御心付と存候事に候。
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『政談』右四册大意の事右四册の物語りに瑣細なるまでを記したることは、当時は法の立てやう未熟にて、大なる所に法立たず、末に計り法立ちてある故世界に締り無く、風俗ひたものに移り行き、今は法は法にて有りながら、下は下にて別々になりて、法も詮無きことに成りたることを知らせ奉らんためなり、当時のことなど見及び聞及びたる争などを少々書きたるは、定めて承はり違ひもあるべし、又愚按の違ひもあるべし、政治の道はひきつはなれたることにあらず、世の成行世界の全体を知し召すこと肝要なり、肝心の所は世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、此二つに帰することなり、是によりて、戸籍を立て万民を住所に有付ると、町人百姓と武家と制度の差別を立ると、大名の家に制度を立ると御買上と云ことの之なきやうにすると、大体是にて世界はすぐなをり豊かに成るへし、
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『政談』當時制度之なき事兼て制度を立てゝこれを安くするときは人々知る故分に過ぎたる奢りは自からなくて世上に費へなし、制度なければ上より奢りをするなと制し玉ふと云ふとも、是までが分相応にて是より上か奢りなりと云ふ「キツカケ」なけれはすへきやうなし、華美を好むは人情の常なる故制度なき故に世は次第に奢りに成行くなり、衣服の制度ある時は是は大名是は大役高官の人と云ふ事坐敷の上にても自から知るゝ故、人々貴きを敬ひ儀式自から乱れさるに、上一人より下は民までも何れも小袖を着上下を着ること同様にて、其衣服の地は金さへあれは何を着ても誰制する人なし、上下の見分けなき故高官大役の人下のものと別の立てやうなく、唯々いかつかましき体をして是にて高下を別のことに成り、我か身の君子の礼儀を失ふことをは知らず、御役人奉行なとの無礼甚しく、下たるものは礼に過ぎて這ひ屈み、諂ふ風俗甚しきも制度なきか故なり、
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『政談』諸色直段の事偖又用ゆるもの多き故に高直になる、此用ゆる者多きは制度なきより起れり、元来貴き人は善きものを用ひ、賤きものは悪きものを用ゆるときは、物各々其宜きを得るゆゑ諸色高直にはならぬを、今は賤き者まても善きものを用ゆると云は如何やうの事なれは、御城下に来集る民は素は田舎のものにて、麦粟種等の雑穀を食し、濁酒を飲み、味噌をも食せす、すくも火を焼き、麻木綿を織て着し、席薦の上に寝臥をしたるものか、心儘に御城下に来住する故、米味噌を食し、薪を焼き、炭の火にあたり、衣服も買整へて着し、善酒を飲み、田舎に之なき障子を立て、天井を張り、唐紙を張り、畳を敷き、蚊屋を釣るなとすることは、ぼていふりも皆斯の如し、少しも善き町人は衣服食事家居器物まても金さへあれは大名と同しことにて誰れ制する者なし、是諸物の用ゆる人多き故諸色の高直なること尤なり、

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