宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
一日三省同登蘓轍獨進上前論殿試策題因引漢昭變更武帝法度事哲宗怒曰安得以漢武比先帝轍再拜而退曰臣引用失當容臣待罪公奏曰漢武雄材大略史無貶辭又轍所論非異同正欲救巳行之言望陛下宣住蘓轍尚書右丞鄧潤甫越次言曰先帝法度為司馬光蘓轍壞盡公曰不然法本無弊□則當改上曰人謂秦皇漢武公奏蘓轍之所論事與時也非人也轍卒得罪去
新字:一日三省同登蘓轍独進上前論殿試策題因引漢昭変更武帝法度事哲宗怒曰安得以漢武比先帝轍再拝而退曰臣引用失当容臣待罪公奏曰漢武雄材大略史無貶辞又轍所論非異同正欲救巳行之言望陛下宣住蘓轍尚書右丞鄧潤甫越次言曰先帝法度為司馬光蘓轍壊尽公曰不然法本無弊□則当改上曰人謂秦皇漢武公奏蘓轍之所論事与時也非人也轍卒得罪去
書き下し
一日三省同じく登る。蘇轍獨り進みて上前に殿試の策題を論じ、因りて漢の昭の武帝の法度を變更せし事を引く。哲宗怒りて曰く、安んぞ漢の武を以て先帝に比す可けんやと。轍再拜して退きて曰く、臣の引用は失當なり。臣を容れて罪を待たしめよと。公奏して曰く、漢の武は雄材大略。史に貶辭無し。又た轍の論ずる所は異同に非ず。正に已に行うの言を救わんと欲するのみ。望むらくは陛下蘇轍を宣住せよと。尚書右丞鄧潤甫次を越えて言いて曰く、先帝の法度は司馬光・蘇轍の爲に壞し盡くさると。公曰く、然らず。法は本と弊無くんば□、則ち當に改むべしと。上曰く、人は秦皇漢武と謂うと。公奏す、蘇轍の論ずる所は事と時なり。人に非ざるなりと。轍卒に罪を得て去る。
現代語訳
ある日、三省がともに登殿した。蘇轍だけが進み出て、天子の前で殿試の策題を論じ、そのついでに漢の昭帝が武帝の法度を変更した事を引いた。哲宗は怒って言った。「どうして漢の武帝を先帝になぞらえてよいのか」。蘇轍は二度拝礼して退がって言った。「臣の引用は当を失しました。臣を留め置いて処分をお待ちください」。公は奏上して言った。「漢の武帝は雄大な才と大きな計らいの人です。史書にもそしる言葉はありません。そのうえ蘇轍が論じているのは是非の違いではありません。すでに行われている言を救おうとしているだけです。どうか陛下、蘇轍をその場にとどめてください」。尚書右丞の鄧潤甫が順序を越えて言った。「先帝の法度は、司馬光・蘇轍によって壊し尽くされました」。公は言った。「そうではありません。法はもともと弊がなければ〔一字を欠く〕、あれば改めるべきです」。天子は言った。「人は秦の始皇帝や漢の武帝と言っている」。公は奏上した。「蘇轍が論じたのは事と時です。人ではありません」。蘇轍はついに罪を得て去った。
解説
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