宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
初范公之貶公與尹師魯余安道皆以直范公見逐目之黨人自是朋黨之論起公乃為朋黨論以進言君子以同道為朋小人以同利為朋人君但當退小人之偽朋進君子之真朋其言懇惻詳盡公性疾惡論事無所囬避小人視之如仇讎而公愈奮厲不顧上獨深知其忠改右正言知制誥賜三品服故事知制誥必試上知公之文有㫖不試與近世楊文公陳文惠公比連公三人而已嘗因奏事論及人物上目公曰如歐陽修何處得來盖欲大用而不果也
新字:初范公之貶公与尹師魯余安道皆以直范公見逐目之党人自是朋党之論起公乃為朋党論以進言君子以同道為朋小人以同利為朋人君但当退小人之偽朋進君子之真朋其言懇惻詳尽公性疾悪論事無所囬避小人視之如仇讎而公愈奮厲不顧上独深知其忠改右正言知制誥賜三品服故事知制誥必試上知公之文有旨不試与近世楊文公陳文恵公比連公三人而已嘗因奏事論及人物上目公曰如欧陽修何処得来盖欲大用而不果也
書き下し
初め范公の貶せらるるや、公と尹師魯・余安道と皆范公を直しとするを以て逐わる。之を黨人と目す。是れより朋黨の論起こる。公乃ち朋黨論を爲して以て進む。言う、君子は道を同じくするを以て朋と爲し、小人は利を同じくするを以て朋と爲す。人君は但だ當に小人の僞朋を退け、君子の眞朋を進むべしと。其の言懇惻詳盡なり。公性惡を疾み、事を論じて囘避する所無し。小人之を視ること仇讎の如し。而して公は愈ミ奮厲して顧みず。上獨り其の忠を深く知り、右正言・知制誥に改め、三品の服を賜う。故事、知制誥は必ず試む。上、公の文を知り、旨有りて試みず。近世の楊文公・陳文惠公に比して、連ねて公と三人のみ。嘗て奏事に因りて論人物に及ぶ。上公に目して曰く、歐陽脩の如きは何處より得來たるかと。蓋し大いに用いんと欲して果たさざるなり。
現代語訳
はじめ范仲淹が貶められたとき、欧陽脩と尹洙・余靖はみな范仲淹を正しいとしたために追われた。これを党人と呼んだ。ここから朋党の議論が起こった。欧陽脩はそこで「朋党論」を書いて差し出した。こう言った。「君子は道を同じくすることで朋となり、小人は利を同じくすることで朋となる。人君はただ、小人の偽りの朋を退け、君子の真の朋を進めるべきである」。その言葉は懇ろで痛切、詳しく尽くされていた。欧陽脩は生まれつき悪を憎み、事を論じて避けるところがなかった。小人はこれを仇のように見た。それでも欧陽脩はますます奮い立って顧みなかった。天子だけがその忠実さを深く知り、右正言・知制誥に改め、三品の服を賜った。先例では、知制誥は必ず試験を課す。天子は欧陽脩の文章を知っていて、命じて試験を課さなかった。近ごろでは楊億と陳堯佐に並んで、続けて欧陽脩と三人だけである。かつて奏上のついでに人物のことに及んだ。天子は欧陽脩に目をやって言った。「欧陽脩のような人物は、どこから出てきたのか」。思うに、大いに用いようとして果たさなかったのである。
解説
この章句が説くこと
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