宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
張公安道嘗為予言道非明民將以愚之國朝自真宗以前朝廷尊嚴天下私説不行好竒喜事之人不敢以事摇撼朝廷故天下之士知為詩賦以取科第不知其他諺曰水到魚行既以官之不患其不知政也昔之名宰相皆以此術馭天下
新字:張公安道嘗為予言道非明民将以愚之国朝自真宗以前朝廷尊厳天下私説不行好奇喜事之人不敢以事摇撼朝廷故天下之士知為詩賦以取科第不知其他諺曰水到魚行既以官之不患其不知政也昔之名宰相皆以此術馭天下
書き下し
張公安道嘗て予の爲に言う、道は民を明らかにするに非ず。將に以て之を愚にせんとす。國朝は眞宗以前より、朝廷尊嚴にして天下の私説行われず。奇を好み事を喜ぶの人、敢えて事を以て朝廷を搖撼せず。故に天下の士は詩賦を爲して以て科第を取るを知り、其の他を知らず。諺に曰く、水到れば魚行くと。既に以て之に官すれば、其の政を知らざるを患えざるなり。昔の名宰相は皆此の術を以て天下を馭すと。
現代語訳
張方平はかつて私に語って言った。「道とは民を賢くするものではない。むしろ民を素朴にしておくものである。本朝は真宗以前から、朝廷は尊厳であって、天下の私的な議論は通らなかった。奇を好み事を起こしたがる人は、事にかこつけて朝廷を揺さぶることができなかった。だから天下の士は、詩賦を作って科挙に受かることだけを知り、そのほかを知らなかった。諺に『水が来れば魚は泳ぐ』という。ひとたび官に就けば、政を知らないことなど心配するに及ばない。昔の名宰相は、みなこの術によって天下を御した」。
解説
現代の目から見ると、はっきり反発を覚える議論です。道とは民を賢くするものではない。むしろ民を素朴にしておくものである。それでもこの巻は削らずに載せています。論拠は、朝廷が揺れなかった時代の記憶でした。奇を好み事を起こしたがる人は、事にかこつけて朝廷を揺さぶることができなかった。そして士の状態を、あっさり肯定します。詩賦を作って科挙に受かることだけを知り、そのほかを知らなかった。任地に着けば分かる、と。この論に対する反論が、四段あとに置かれています。
この章句が説くこと
道は民を明らかにするに非ず将に以て之を愚にせんとす朝廷尊厳にして天下の私説行われず天下の士は詩賦を為して以て科第を取るを知り其の他を知らず昔の名宰相は皆此の術を以て天下を馭す統治秩序
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