宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公貶雷州丁謂遣中使賫勑往授之以錦囊貯劒掲于馬前既至公方與郡官宴飲驛吏言狀公遣郡官出迎之中使避不見入傳舍中乆之不出問其所以来之故不答上下皆惶恐不知所為公神色自若使人謂之曰朝廷若賜凖死願見□書中使不得已授之公拜受于庭升階復宴飲至暮罷
新字:公貶雷州丁謂遣中使賫勑往授之以錦囊貯劒掲于馬前既至公方与郡官宴飲駅吏言状公遣郡官出迎之中使避不見入伝舎中乆之不出問其所以来之故不答上下皆惶恐不知所為公神色自若使人謂之曰朝廷若賜凖死願見□書中使不得已授之公拝受于庭升階復宴飲至暮罷
書き下し
公、雷州に貶せらる。丁謂、中使を遣わし勑を賫して往きて之を授けしむ。錦囊を以て劒を貯え、馬前に掲ぐ。既に至る。公、方に郡官と宴飲す。驛吏、狀を言う。公、郡官を遣わして出でて之を迎えしむ。中使、避けて見えず、傳舍の中に入る。乆しくして出でず。其の来たる所以の故を問うも答えず。上下皆な惶恐して為す所を知らず。公、神色自若たり。人をして之に謂わしめて曰く、朝廷若し凖に死を賜わば、願わくは□書を見んと。中使已むを得ずして之を授く。公、庭に拜受し、階に升りて復た宴飲す。暮に至りて罷む。
現代語訳
公が雷州に流された。丁謂は宦官の使者をやって勅書を持って行き、授けさせた。錦の袋に剣を入れて、馬の前に掲げさせた。使者が着いた。公はちょうど郡の役人と宴を張っていた。駅の役人がその様子を告げた。公は郡の役人をやって迎えに出させた。使者は避けて会わず、宿舎の中に入った。長いあいだ出てこなかった。何のために来たのかを尋ねても答えなかった。上の者も下の者もみな恐れおののいて、どうしてよいか分からなかった。公は顔色ひとつ変えなかった。人をやってこう言わせた。「朝廷がもし私に死を賜るのであれば、どうか勅書を拝見したい」。使者はやむを得ずそれを授けた。公は庭で拝して受け取り、階を上ってまた宴を続けた。日暮れになってお開きにした。
解説
剣を錦の袋に入れて馬前に掲げる、というのは死を賜るという合図です。使者はわざと会わず、何も言わずに宿舎にこもりました。周りは恐れおののきます。**朝廷がもし私に死を賜るのであれば、どうか勅書を拝見したい。**曖昧なまま怖がらせる、という相手の狙いを正面から潰しています。庭で拝受して、階を上ってまた宴を続けました。日暮れにお開き。原文の□は四庫全書本の欠字です。
この章句が説くこと
朝廷若し凖に死を賜わば願わくは書を見ん錦囊を以て劒を貯え馬前に掲ぐ公神色自若たり庭に拝受し階に升りて復た宴飲す覚悟平静威圧
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