宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
有司發䇿問必先稱頌時政對者因大為䛕辭以應之又多以佛書證六經至全用天竺語以相髙晚向字學復以字書去取天下士於是學者不復解經而專解字往往辨析字畫說一字至數百言去經意益逺由是中外議者皆咎經義而思詩賦矣
新字:有司発策問必先称頌時政対者因大為䛕辞以応之又多以仏書證六経至全用天竺語以相高晩向字学復以字書去取天下士於是学者不復解経而専解字往往弁析字画説一字至数百言去経意益遠由是中外議者皆咎経義而思詩賦矣
書き下し
有司策問を發すれば必ず先ず時政を稱頌す。對うる者因りて大いに諛辭を爲して以て之に應ず。又た多く佛書を以て六經を證し、全く天竺の語を用いて以て相い髙しとするに至る。晩に字學に向かい、復た字書を以て天下の士を去取す。是に於いて學者は復た經を解せずして專ら字を解し、往往にして字畫を辨析し、一字を説くこと數百言に至る。經意を去ること益ミ遠し。是に由りて中外の議者は皆經義を咎めて詩賦を思えり。
現代語訳
担当の役所が策問を出すときは、必ずまず当代の政治を褒め称えた。答える者はそこで大いにへつらいの言葉を作ってこれに応じた。また多く仏書によって六経を証明し、まるごとインドの語を用いて互いに高しとするまでになった。晩年には字の学に向かい、今度は字書によって天下の士を採ったり落としたりした。そこで学ぶ者はもはや経を解さず、もっぱら字を解し、往々にして字画を分析し、一字を説明するのに数百言に及んだ。経の意味から去ることはますます遠くなった。これによって内外の議者はみな、経義を咎めて詩賦を懐かしむようになった。
解説
崩れ方が三段で書かれています。まず問いのほうが変わりました。**担当の役所が策問を出すときは、必ずまず当代の政治を褒め称えた。**問いに答えが埋め込まれていれば、答案はへつらいになります。次に、高しとされる材料が入れ替わりました。そして最後が字です。**一字を説明するのに数百言に及んだ。**細かさは、熱心さの証拠に見えます。だから止まりません。**経の意味から去ることはますます遠くなった。**
この章句が説くこと
有司策問を発すれば必ず先ず時政を称頌す対うる者因りて大いに諛辞を為して以て之に応ず学者は復た経を解せずして専ら字を解し一字を説くこと数百言に至る是に由りて中外の議者は皆経義を咎めて詩賦を思えり訓詁逸脱
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著是に至りて將に廷試せんとす。執政又た熙寧に策を復するの初め、進士葉祖洽の祖宗を譏議せしを以て、是れより策に對うる者は皆前朝を訕りて以て當世に阿ると。因りて以て策問は廢す可く當に詩賦論題を復すべしと爲す。公曰く、天子軒に臨みて策を發し四方の貢士を延きて問うに治道を以てす。豈に古に近き良法に非ずや。對うる者の是非邪正に至りては則ち考官の去取に在るのみと。乃ち舊に仍りて策を試す。其の後科舉を論ずる者も亦た息まず。以て公の薨ずるに至り詩賦益ミ隆んにして、盡く經義を廢して後に已まんことを期す。公の意に非ざるなり。
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