宋名臣言行録 / 前集巻六・吕夷簡
公在章獻朝近臣頗以言事去職或勸公宜退公曰先帝待我厚期以宗廟安寧死不愧于先帝故平勃不去所以安漢仁傑不去所以安唐使吾亦潔虛名而去治亂未可知也故孜孜燮輔知無不為雖禍之未形事之將然必先為之救禦
新字:公在章献朝近臣頗以言事去職或勧公宜退公曰先帝待我厚期以宗廟安寧死不愧于先帝故平勃不去所以安漢仁傑不去所以安唐使吾亦潔虚名而去治乱未可知也故孜孜燮輔知無不為雖禍之未形事之将然必先為之救禦
書き下し
公、章獻の朝に在り。近臣、頗る事を言うを以て職を去る。或ひと公に宜しく退くべしと勸む。公曰く、先帝、我を待つこと厚し。期するに宗廟の安寧を以てす。死して先帝に愧じず。故に平・勃の去らざるは、漢を安んずる所以なり。仁傑の去らざるは、唐を安んずる所以なり。吾れをして亦た虛名を潔くして去らしめば、治亂未だ知る可からざるなりと。故に孜孜として燮輔し、知りて為さざる無し。禍いの未だ形れず、事の將に然らんとすと雖も、必ず先ず之が救禦を為す。
現代語訳
公は章献太后の朝廷にいた。側近たちの多くが、意見を述べたことで職を去った。ある人が公に、退くべきだと勧めた。公は言った。「先帝は私を厚く遇された。宗廟の安寧をもって期待された。死んでも先帝に恥じることはない。だから陳平と周勃が去らなかったのは、漢を安んずるためであった。狄仁傑が去らなかったのは、唐を安んずるためであった。私もまた虚名をきれいにして去ったなら、治まるか乱れるか分からなくなる」。だから熱心に輔佐して、知っていることで行わないことはなかった。禍いがまだ形にならず、事がこれから起ころうとしているというときでも、必ず先にそれを防ぐ手を打った。
解説
周りが次々に去っていくなかで、残ることを選んだ条です。私もまた虚名をきれいにして去ったなら、治まるか乱れるか分からなくなる。去るのは、自分の名を汚さない道です。陳平と周勃、狄仁傑を引いてきました。どれも、屈辱に耐えて残って国を保った人たちです。締めの一行が実務でした。禍いがまだ形にならないうちに、必ず先に防ぐ手を打った。残る以上、何をするかまで決めています。
この章句が説くこと
平勃の去らざるは漢を安んずる所以なり吾れをして亦た虚名を潔くして去らしめば治乱未だ知る可からざるなり禍いの未だ形れずと雖も必ず先ず之が救禦を為す進退虚名責任
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