宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
公之章留中不下乃偽為之加以詆誣不實之語如取他人之子而殺其母之類流布中外欲天下聞之真若有罪者其為謀深矣雖有端人正士無敢為公辨明者公既死迨今二十餘年昔之姦朋凋䘮略盡而正論行焉真偽是非始有在矣紹興三年其子柄集公之奏議一編属余為叙余於公非一朝燕游之好也知公為尤詳其事之本末皆余所親聞見者故詳著之以昭示来世庶乎使小人知君子之為善終不可誣也
新字:公之章留中不下乃偽為之加以詆誣不実之語如取他人之子而殺其母之類流布中外欲天下聞之真若有罪者其為謀深矣雖有端人正士無敢為公弁明者公既死迨今二十余年昔之姦朋凋喪略尽而正論行焉真偽是非始有在矣紹興三年其子柄集公之奏議一編属余為叙余於公非一朝燕游之好也知公為尤詳其事之本末皆余所親聞見者故詳著之以昭示来世庶乎使小人知君子之為善終不可誣也
書き下し
公の章、中に留めて下さず。乃ち僞りて之を爲り、加うるに詆誣不實の語、「他人の子を取りて其の母を殺す」の類を以てし、中外に流布す。天下をして之を聞かしめ、真に罪有る者の若くならしめんと欲す。其の謀を爲すこと深し。端人正士有りと雖も、敢えて公の爲に辨明する者無し。公既に死し、今に迨ぶこと二十餘年。昔の姦朋凋喪して略ミ盡き、正論行わる。真僞是非始めて在る有り。紹興三年、其の子柄、公の奏議を集めて一編とし、余に属して叙を爲らしむ。余の公に於けるは一朝燕游の好みに非ざるなり。公を知ること尤も詳し。其の事の本末は皆な余の親しく聞見する所なり。故に詳らかに之を著し、以て来世に昭示す。庶わくは小人をして、君子の善を爲すは終に誣う可からざるを知らしめん。
現代語訳
鄒浩の上奏文は宮中に留め置かれ、下されなかった。そのうえで偽の文をこしらえ、そこに事実でない誹謗の語、たとえば「他人の子を取り上げてその母を殺した」といったたぐいを加えて、内外に流布させた。天下の人にそれを聞かせて、本当に罪がある者のように思わせようとしたのである。その謀りごとは深い。まっとうな人物や正しい士がいても、あえて鄒浩のために弁明する者はいなかった。鄒浩が没して、今に至るまで二十余年。かつての邪な仲間たちは衰え死んでほぼ絶え、正しい議論が行われるようになった。真偽と是非が、はじめて定まるところを得た。紹興三年、その子の鄒柄が父の奏議を集めて一編とし、私に序文を書くよう頼んだ。私と鄒浩とは、一時の遊び仲間の間柄ではない。この人を知ることがとりわけ詳しい。その事の始めから終わりまでは、みな私が自分の耳目で聞き見たところである。だから詳しくこれを書き記し、後の世に示す。願わくは小人たちに、君子が善をなすことは結局は誣いようがないと知らせたい。
解説
この章句が説くこと
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