宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
今放青苗錢凡春貸十千半年之内便令納利二千秋再放十千至年終又令納利二千則是貸萬錢者不問逺近之地嵗令出息四千也周禮至逺之地止出息二千今青苗取利尚過周禮一倍則制置司所言比周禮貸民取息立定分數已不為多亦是欺罔上聽且謂天下之人皆不能辨也
新字:今放青苗銭凡春貸十千半年之内便令納利二千秋再放十千至年終又令納利二千則是貸万銭者不問遠近之地歳令出息四千也周礼至遠之地止出息二千今青苗取利尚過周礼一倍則制置司所言比周礼貸民取息立定分数已不為多亦是欺罔上聴且謂天下之人皆不能弁也
書き下し
今青苗錢を放つに、凡そ春に十千を貸し、半年の内に便ち利二千を納れしむ。秋に再び十千を放ち、年終わりに至りて又た利二千を納れしむ。則ち是れ萬錢を貸る者、遠近の地を問わず、歳に息四千を出さしむるなり。周禮は至遠の地も止だ息二千を出すのみ。今青苗の利を取ること、尚お周禮に過ぐること一倍なり。則ち制置司の言う所、周禮の民に貸して息を取り、分數を立て定むるに比すれば已に多しと爲さず、とは、亦た是れ上聽を欺罔し、且つ天下の人皆辨ずる能わずと謂うなり。
現代語訳
いま青苗銭を貸し出すのに、およそ春に十千を貸して、半年のうちに利息二千を納めさせます。秋にまた十千を貸して、年の終わりにまた利息二千を納めさせます。とすれば、万銭を借りる者は、遠近の土地を問わず、年に利息四千を出させられることになります。周礼では最も遠い土地でさえ、利息二千を出すだけです。いま青苗の利の取り方は、周礼をなお一倍上回っています。それなのに制置司が「周礼が民に貸して利息を取り、率を定めていたのに比べれば、すでに多くはない」と言うのは、これもまた天子のお耳を欺き、そのうえ天下の人はみな見分けられまいと思っているのです。
解説
この章句が説くこと
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