宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
公知永興軍上章曰臣之不才最出羣臣之下先見不如吕誨公直不如范純仁程顥敢言不如蘇軾孔文仲勇决不如范鎮若臣罪與鎮同則乞依鎮例致仕若罪重於鎮或竄或誅所不敢逃帝必欲用公召知許州令過闕上殿謂監察御史程顥曰卿度光來否顥對曰陛下能用其言光必來不能用其言光必不來帝曰未論用其言如光者常在左右自可無過公果辭召命帝嘗謂左丞蒲宗孟曰如光未論别事只辭樞密一節朕自即位以來惟見此一人帝之眷禮於公如此不衰
新字:公知永興軍上章曰臣之不才最出羣臣之下先見不如呂誨公直不如范純仁程顥敢言不如蘇軾孔文仲勇決不如范鎮若臣罪与鎮同則乞依鎮例致仕若罪重於鎮或竄或誅所不敢逃帝必欲用公召知許州令過闕上殿謂監察御史程顥曰卿度光来否顥対曰陛下能用其言光必来不能用其言光必不来帝曰未論用其言如光者常在左右自可無過公果辞召命帝嘗謂左丞蒲宗孟曰如光未論別事只辞枢密一節朕自即位以来惟見此一人帝之眷礼於公如此不衰
書き下し
公永興軍を知す。上章して曰く、臣の不才は最も羣臣の下に出づ。先見は呂誨に如かず、公直は范純仁・程顥に如かず、敢言は蘇軾・孔文仲に如かず、勇決は范鎮に如かず。若し臣の罪、鎮と同じくば則ち鎮の例に依りて致仕せんことを乞う。若し罪、鎮より重くば、或いは竄し或いは誅せらるるも敢えて逃れざる所なりと。帝必ず公を用いんと欲し、召して許州を知せしめ、闕を過ぎて殿に上らしむ。監察御史程顥に謂いて曰く、卿光の來たるや否やを度れと。顥對えて曰く、陛下能く其の言を用いば光は必ず來たらん。其の言を用うる能わずんば光は必ず來たらじと。帝曰く、未だ其の言を用うるを論ぜず。光の如き者常に左右に在らば自ら過ち無かる可しと。公果たして召命を辭す。帝嘗て左丞蒲宗孟に謂いて曰く、光の如きは別事を論ぜず、只だ樞密を辭するの一節のみ。朕即位より以來、惟だ此の一人を見るのみと。帝の公に眷禮すること此くの如く衰えず。
現代語訳
司馬光は永興軍を治めた。上章して言った。「臣の不才は、群臣のうち最も下に出ます。先を見ることは呂誨に及ばず、公正で真っすぐなことは范純仁・程顥に及ばず、思い切って言うことは蘇軾・孔文仲に及ばず、勇気ある決断は范鎮に及びません。もし臣の罪が范鎮と同じであるなら、范鎮の例にならって職を辞したく存じます。もし罪が范鎮より重いなら、流されるにせよ誅されるにせよ、あえて逃れようとは思いません」。天子はどうしても司馬光を用いようとして、召して許州を治めさせ、都を通る折に殿に上らせようとした。監察御史の程顥に言った。「卿は、光が来るかどうかを推し量ってみよ」。程顥は答えて言った。「陛下がその言を用いることがおできになるなら、光は必ず参ります。その言を用いることがおできにならないなら、光は必ず参りません」。天子は言った。「その言を用いるかどうかはさておき、光のような者が常に左右にいれば、おのずと過ちがなくなるだろう」。司馬光ははたして召しを辞退した。天子はかつて左丞の蒲宗孟に言った。「光のような者は、他の事は論じない。ただ枢密を辞退した一事だけをとっても、朕は即位して以来、この一人を見るだけである」。天子が司馬光を重んじ礼遇することは、これほどで、衰えなかった。
解説
この章句が説くこと
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