宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
中書有事關送宻院事礙詔格㓂公在樞府特以聞上以責公公拜謝引咎堂吏皆遭責罰不踰月宻院有事送中書亦違舊詔堂吏得之欣然呈公公曰却送與宻院吏出白㓂公冦大慙翌日見公曰同年甚得許大度量公不答
新字:中書有事関送宻院事礙詔格㓂公在枢府特以聞上以責公公拝謝引咎堂吏皆遭責罰不踰月宻院有事送中書亦違旧詔堂吏得之欣然呈公公曰却送与宻院吏出白㓂公寇大慙翌日見公曰同年甚得許大度量公不答
書き下し
中書に事の宻院に關送する有り。事、詔格に礙る。㓂公樞府に在り、特に以て聞す。上以て公を責む。公拜謝して咎を引く。堂吏皆な責罰に遭う。月を踰えずして、宻院に事の中書に送る有り。亦た舊詔に違う。堂吏之を得て欣然として公に呈す。公曰く、却りて宻院に送り與えよと。吏出でて㓂公に白す。冦大いに慙ず。翌日公に見えて曰く、同年、甚だ許大の度量を得たりと。公答えず。
現代語訳
中書省から枢密院へ回した書類があった。その内容が詔の規定に触れていた。寇準が枢密院にあって、わざわざそれを奏聞した。帝はそれで公を責めた。公は拝礼して詫び、自分の咎とした。中書の役人はみな処罰を受けた。ひと月とたたないうちに、枢密院から中書省へ送ってきた書類があった。これも古い詔に違反していた。中書の役人はそれを見つけて喜んで公に差し出した。公は言った。「そのまま枢密院へ送り返しなさい」。役人は出て行って寇準に告げた。寇準はひどく恥じ入った。翌日、公に会って言った。「同年どの、なんと大きな度量をお持ちだ」。公は答えなかった。
解説
やり返せる場面で、やり返さなかった条です。先に自分の側の不備を暴かれ、部下まで処罰されている。ひと月後に相手の不備が来ました。役人は喜んで持ってきます。**公の指示は一行でした。そのまま枢密院へ送り返しなさい。**咎めもせず、奏聞もせず、直させただけです。翌日、寇準が度量を褒めに来ました。それにも答えていません。褒められて認めれば、やり返さなかったことが恩になってしまうからでしょう。
この章句が説くこと
却りて宻院に送り与えよ㓂公枢府に在り特に以て聞す上以て公を責む同年甚だ許大の度量を得たり公答えず報復度量返礼
関連する章句
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説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
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説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
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尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
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説苑・尊賢晋の文侯、地を行きて隧に登るに、大夫皆之を扶く。隨会扶けず。文侯曰く、「会よ、夫れ人臣為りて其の君を忍ぶ者は、其の罪奚如ん」と。対えて曰く、「其の罪重死なり」と。文侯曰く、「何をか重死と謂う」と。対えて曰く、「身死し、妻子戮せらる」と。隨会曰く、「君奚ぞ独り人臣為りて其の君を忍ぶ者を問いて、人君為りて其の臣を忍ぶ者を問わざるや」と。文侯曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、其の罪何如ん」と。隨会対えて曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、智士謀を為さず、弁士言を為さず、仁士行を為さず、勇士死を為さず」と。文侯綏を援きて車を下り、大夫に辞して曰く、「寡人に腰髀の病有り、願わくは諸大夫罪する勿かれ」と。