宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
英宗既自外來又方寢疾不豫人情向在太后公慮宫中有不測者一日因對深以言動太后曰臣等只在外靣不得見官家内中保䕶全在太后若官家失照管太后亦未安穏太后驚曰相公是何言語自家更是用心公即曰太后照管則衆人自照管同列為縮頸流汗既而吴奎曰語不太過否公曰不得不如此
新字:英宗既自外来又方寝疾不予人情向在太后公慮宮中有不測者一日因対深以言動太后曰臣等只在外面不得見官家内中保䕶全在太后若官家失照管太后亦未安穏太后驚曰相公是何言語自家更是用心公即曰太后照管則衆人自照管同列為縮頸流汗既而呉奎曰語不太過否公曰不得不如此
書き下し
英宗既に外より來たり、又た方に疾に寢して豫ならず。人情向いて太后に在り。公、宮中に不測有るを慮る。一日對に因り、深く言を以て太后を動かして曰く、臣等只だ外面に在りて官家に見ゆるを得ず。内中の保護は全く太后に在り。若し官家照管を失わば、太后も亦た未だ安穩ならずと。太后驚きて曰く、相公は是れ何の言語ぞ。自家は更に是れ心を用うと。公即ち曰く、太后照管せば則ち衆人自ら照管せんと。同列は爲に頸を縮め汗を流す。既にして吳奎曰く、語太だ過ぎざるかと。公曰く、此くの如くせざるを得ずと。
現代語訳
英宗はよそから迎えられた身であり、そのうえ病に臥して回復していなかった。人心は太后のほうへ向いていた。韓琦は宮中に思いがけない事が起こるのを心配した。ある日、御前に伺うのを機に、思い切った言葉で太后を動かして言った。「臣らはただ外におりまして、陛下にお目にかかることができません。内でお守りするのは、すべて太后にかかっております。もし陛下のお世話が行き届かないことがあれば、太后とて安穏ではいらっしゃれません」。太后は驚いて言った。「宰相どのは何ということを言われる。わたくしこそ心を用いております」。韓琦はすぐ言った。「太后がお世話くだされば、周りの者も自ずとお世話いたします」。同席の者たちは首をすくめて汗を流した。あとで呉奎が言った。「言葉が過ぎたのではありませんか」。韓琦は言った。「ああ言わないわけにはいかなかったのだ」。
解説
この章句が説くこと
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