宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公始謫道州司馬素無公宇百姓聞之競荷瓦木不督而㑹公宇立成頗亦宏壯守土者聞于朝遂再有海康之行
新字:公始謫道州司馬素無公宇百姓聞之競荷瓦木不督而会公宇立成頗亦宏壮守土者聞于朝遂再有海康之行
書き下し
公、始め道州司馬に謫せらる。素より公宇無し。百姓之を聞き、競いて瓦木を荷い、督せずして㑹す。公宇立ちどころに成り、頗る亦た宏壯なり。土を守る者、朝に聞す。遂に再び海康の行有り。
現代語訳
公ははじめ道州の司馬に落とされた。もともと役所の建物が無かった。民はそれを聞いて、争って瓦や木を担いで運び、督促もされないのに集まった。役所はたちまち出来上がり、たいそう立派なものであった。土地を守る者がそれを朝廷に報告した。そこでふたたび海康への流謫となった。
解説
流された先で、民が自分から瓦と木を担いできた条です。督促もされないのに集まり、役所はたちまち立派に出来上がった。そこまでは美談です。続きが残酷でした。土地を守る役人がそれを朝廷に報告し、そのせいでさらに遠くの海康へ流された。慕われていることが、そのまま次の罪状になっています。落ちた人がなお慕われるのを、都は危険と読みました。
この章句が説くこと
百姓之を聞き競いて瓦木を荷い督せずして会す公宇立ちどころに成り頗る亦た宏壮なり土を守る者朝に聞す遂に再び海康の行有り人望左遷報告
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