宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
公在翰林仁宗一日乘間見御閤春帖子讀而愛之問左右曰歐陽修之辭也乃悉取宫中諸帖閱之見其篇篇有意歎曰舉筆不㤀規諌真侍從之臣也
新字:公在翰林仁宗一日乗間見御閤春帖子読而愛之問左右曰欧陽修之辞也乃悉取宮中諸帖閲之見其篇篇有意嘆曰舉筆不㤀規諌真侍従之臣也
書き下し
公翰林に在り。仁宗一日、間に乘じて御閤の春帖子を見る。讀みて之を愛し、左右に問いて曰く、歐陽脩の辭かと。乃ち悉く宮中の諸帖を取りて之を閲す。其の篇篇に意有るを見て、歎じて曰く、筆を舉げて規諫を忘れず。眞に侍從の臣なりと。
現代語訳
欧陽脩が翰林にいたころ。仁宗はある日、ふとした折に御殿の春の飾り札を見た。読んで気に入り、側近に問うた。「欧陽脩の文か」。そこで宮中の飾り札をすべて取り寄せて目を通した。その一篇一篇に意味が込められているのを見て、嘆じて言った。「筆を執れば必ず諫めを忘れない。まことに侍従の臣である」。
解説
春の飾り札は、季節を寿ぐだけの短い詩です。仕事としては最も軽い部類でした。天子が気に入って、他のも取り寄せてみます。その一篇一篇に意味が込められているのを見た。一枚だけなら偶然です。全部にあったので、そういう人だと分かった。筆を執れば必ず諫めを忘れない。大事な文書でだけ志を書く人は多い。飾り札にまで入れていたのが、この人の常態でした。
この章句が説くこと
仁宗一日間に乗じて御閤の春帖子を見る乃ち悉く宮中の諸帖を取りて之を閲す其の篇篇に意有るを見る筆を舉げて規諫を忘れず真に侍従の臣なり諫言文章
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