宋名臣言行録 / 後集巻十四・劉恕
道原家貧至無以給㫖甘一毫不妄取於人其自洛陽南歸也時巳十月無寒具光以衣襪一二事及舊貂褥賮之固辭強與之行及頴州悉封而返之於光而不受於他人可知矣尤不信浮屠説以為必無是事曰人如居逆旅一物不可乏去則盡棄之矣豈得齎以自隨哉可謂知之明而决之勇矣
新字:道原家貧至無以給旨甘一毫不妄取於人其自洛陽南帰也時巳十月無寒具光以衣襪一二事及旧貂褥賮之固辞強与之行及頴州悉封而返之於光而不受於他人可知矣尤不信浮屠説以為必無是事曰人如居逆旅一物不可乏去則尽棄之矣豈得齎以自随哉可謂知之明而決之勇矣
書き下し
道原家貧にして、旨甘を給する無きに至る。一毫も妄りに人に取らず。其の洛陽より南歸するや、時に已に十月、寒具無し。光衣襪一二事及び舊貂褥を以て之に賮る。固く辭す。強いて之に與う。行きて潁州に及び、悉く封じて之を光に返して受けず。他人に於けるは知る可し。尤も浮屠の説を信ぜず。以爲えらく必ず是の事無し、と。曰く、人は逆旅に居るが如し。一物も乏しかる可からず。去れば則ち盡く之を棄つ。豈に齎して以て自ら隨うを得んや、と。之を知ること明らかにして、之を决すること勇なりと謂う可し。
現代語訳
劉恕は家が貧しく、うまいものを親に供えることもできないほどであった。それでも毛筋ほども、みだりに人から受け取らなかった。洛陽から南へ帰るとき、すでに十月で、防寒の支度がなかった。司馬光が衣と足袋を一、二点、それに古い貂の敷物を餞別として贈った。固く辞退した。無理に与えた。旅を続けて潁州まで来ると、すべてを包み直して司馬光に送り返し、受け取らなかった。他人からならなおさらであることは推して知れる。とりわけ仏教の説を信じなかった。必ずそのようなことはない、と考えていた。こう言った。「人は旅籠に泊まっているようなものだ。一つの品も欠けてはならない。だが立ち去るときには全部を捨てていく。どうして持って自分についてこさせられようか」。物を知ることが明らかで、判断することが勇敢であったと言うことができる。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻十四・劉恕方に介甫事を用う。呼吸禍福を成す。凡そ施置有れば、天下を舉げて能く奪う莫し。高論の士も始めは異にして終わりは之に附し、面には譽めて背には之を毀り、口には是として心には之を非とする者、肩を比べて是なり。道原獨り奮厲して顧みず、直ちに其の事を指し、是を是と曰い、非を非と曰う。或いは面のあたり介甫を刺して、色を變ずること鐵の如きに至る。或いは稠人廣坐、介甫の人側に滿つるも、道原公に其の得失を議して隠す所無し。之を惡む者は目を側て、之を愛する者は心を寒からしむ。耳を掩いて起ち避くるに至るも、道原曾て以て意と爲さず。質厚なる者を見れば之に親しむこと兄弟の如く、姦諂なる者は之を疾むこと讎の如し。是を用て困窮して終に悔いず。此れ誠に人の難しとする所なり。昔申棖は多慾を以て剛爲るを得ず、微生高は醯を乞うを以て直爲るを得ず。道原の如き者は、以て剛直の士と爲す可し。
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