宋名臣言行録 / 前集巻三・馬知節
除樞宻副使當時契丹已盟大臣方言符瑞而公每不然之獨從容極言天下雖安不可忘戰去兵之意真宗多以公言為是
新字:除枢宻副使当時契丹已盟大臣方言符瑞而公毎不然之独従容極言天下雖安不可忘戦去兵之意真宗多以公言為是
書き下し
樞宻副使に除せらる。當時、契丹已に盟す。大臣方に符瑞を言う。而して公毎に之を然りとせず。獨り從容として極言す、天下安しと雖も、戰を忘れ兵を去るの意有る可からずと。真宗多く公の言を以て是と為す。
現代語訳
枢密副使に任じられた。当時、契丹とはすでに盟約が結ばれていた。大臣たちはちょうどめでたい兆しのことを言い立てていた。それでも公はいつもそれを認めなかった。ただ一人、落ち着いて言葉を尽くして述べた。「天下が安らかであっても、戦を忘れ兵を去るという考えを持ってはなりません」。真宗はおおむね公の言葉を正しいとした。
解説
講和が成り、めでたい兆しの話ばかりになっていた時期の条です。**公はいつもそれを認めず、一人だけ「天下が安らかでも、戦を忘れ兵を去る考えを持ってはならない」と言い続けました。**李沆が「辺境の患いがやめば君主に驕る心が生まれる」と言ったのと同じ場面を、武官の側から見た記録です。周りが揃って同じ方向を向いているときに、一人で逆を言い続けています。
この章句が説くこと
天下安しと雖も戦を忘れ兵を去るの意有る可からず大臣方に符瑞を言う而して公毎に之を然りとせず独り従容として極言す備え異論平時
関連する章句
-
孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
-
葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
-
孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
-
尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
-
孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
-
孫子・虚実篇その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。