宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
仁宗嗣未立公請置内學教宗子建儲之意黙存其中事未及行仁宗倦勤勢漸廹更不暇置内學毎進對罷即論太子天下本不可不豫立以係天下心語日益切時有二宗子育宫中公謂二宗子陛下亦必自能見其孰聰明知否上以英宗為言公即將順乞降聖㫖劄子權判宗正司後兩府通簽御劄張昇太尉見之懼深罪公何不與之素議及次日殿上大言此事係社稷陛下不可錯上曰此事與相公商量來昇下殿至中書又詰公公曰此甚入思慮來不錯昇退公笑曰若素議豈不壞了事
新字:仁宗嗣未立公請置内学教宗子建儲之意黙存其中事未及行仁宗倦勤勢漸廹更不暇置内学毎進対罷即論太子天下本不可不予立以係天下心語日益切時有二宗子育宫中公謂二宗子陛下亦必自能見其孰聰明知否上以英宗為言公即将順乞降聖旨劄子権判宗正司後両府通簽御劄張昇太尉見之懼深罪公何不与之素議及次日殿上大言此事係社稷陛下不可錯上曰此事与相公商量来昇下殿至中書又詰公公曰此甚入思慮来不錯昇退公笑曰若素議豈不壊了事
書き下し
仁宗嗣未だ立たず。公、内學を置きて宗子を教うるを請う。儲を建つるの意、默して其の中に存す。事未だ行うに及ばず。仁宗勤に倦み、勢い漸く廹り、更に内學を置くに暇あらず。進對罷む毎に、即ち太子は天下の本、豫め立てて以て天下の心を係けざる可からずと論ず。語日に益ミ切なり。時に二宗子の宮中に育つ有り。公二宗子を謂いて、陛下も亦た必ず自ら其の孰れか聰明なるかを見ること能わんや否やと。上、英宗を以て言と爲す。公即ち將順して聖旨劄子を降し、權に宗正司を判せしめんことを乞う。後、兩府御劄を通簽す。張昇太尉之を見て懼れ、深く公を罪す、何ぞ之と素より議せざると。次日に及び殿上に大言す、此の事社稷に係る、陛下錯る可からずと。上曰く、此の事、相公と商量し來たれりと。昇殿を下りて中書に至り、又た公を詰る。公曰く、此れ甚だ思慮に入り來たる、錯らずと。昇退く。公笑いて曰く、若し素より議せば、豈に事を壞さざらんやと。
現代語訳
仁宗の跡継ぎがまだ立っていなかった。韓琦は宮中に学舎を置いて一門の子弟を教えることを願い出た。世継ぎを立てる意図を、黙ってその中に含ませていた。事はまだ実行に至らなかった。仁宗は政務に倦み、情勢はしだいに切迫して、学舎を置く余裕もなくなった。御前での応対が終わるたび、韓琦はすぐ、太子は天下の根本であり、あらかじめ立てて天下の心をつなぎとめなければならない、と論じた。言葉は日に日に切実になった。当時、二人の一門の子が宮中で育てられていた。韓琦はその二人について、陛下ご自身、どちらが聡明かをお見分けになれないはずはないでしょう、と申し上げた。天子は英宗の名を挙げた。韓琦はすかさずその意に従って、聖旨の書付を下し、仮に宗正司の職を執らせるよう願い出た。のちに中書と枢密の両府が御札に連署した。張昇太尉はこれを見て恐れ、韓琦を深く責めた。なぜ前もって自分と相談しなかったのか、と。翌日、殿上で大声で言った。「この事は社稷に関わります。陛下、誤ってはなりません」。天子は言った。「この事は、宰相と相談したうえでのことだ」。張昇は殿を下りて中書省に行き、また韓琦を問い詰めた。韓琦は言った。「これはよく考え抜いたうえのことだ。誤ってはいない」。張昇は退いた。韓琦は笑って言った。「もし前もって相談していたら、事は壊れていたではないか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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孫子・用間篇微なるかな、微なるかな。間を用いざる所無し。間事未だ発せずして先ず聞こゆれば、間と告げられし所の者と皆死す。
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易経・繋辞上「戸庭を出でず、咎无し。」子曰く、「乱の生ずる所は、則ち言語以て階(きざはし)と為る。君密ならざれば則ち臣を失い、臣密ならざれば則ち身を失い、幾事(きじ)密ならざれば則ち害成る。是を以て君子は慎密にして出ださざるなり」と。子曰く、「易を作る者は其れ盗を知れるか。易に曰く、負い且つ乗る、寇(あだ)の至るを致す、と。負うとは、小人の事なり。乗るとは、君子の器なり。小人にして君子の器に乗る、盗は之を奪わんと思う。上慢り下暴(あら)ければ、盗は之を伐たんと思う。蔵(おさ)むるに慢れば盗を誨(おし)え、容を冶(つく)れば淫を誨う。易に曰く、負い且つ乗る、寇の至るを致すとは、盗を招くなり」と。
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『韓非子』外儲說左下第三十三夫れ人臣に介異して、獨り主に忠ならんか。...聴かるると聴かれざるとは、未だ必ずしも知る可からず。而るに汝巳に群臣に離る。
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孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
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孫子・用間篇故に三軍の事は、間より親きは無く、賞は間より厚きは無く、事は間より密なるは無し。