宋名臣言行録 / 前集巻三・曹瑋
寳元中王忠穆公為樞宻使河西首領趙元昊叛上問邉偹輔臣皆不能對明日樞宻四人皆罷忠穆謫虢州翰林學士蘇公儀與忠穆善出城見之忠穆謂公儀曰□之此行前十年已有人言之公儀曰必術士也忠穆曰非也昔時為三司鹽鐵副使疏決獄囚至河北時曹南院自陜西謫官初起為定帥□至定治事畢瑋謂□曰決事已畢自此當還明日願少留一日欲有所言旣愛其雄才又聞欲有所言遂為之留明日具饌甚簡儉食罷屛左右曰公滿面權骨不為樞副即邉帥或謂公當作相則不然也然不十年必總樞柄此時西方當有警公宜預講邉備蒐閲人才不然無以應卒□曰何以見教曹曰瑋在陜西日河西趙徳明嘗使人以馬博易于中國怒其息㣲欲殺之莫可諌止徳明有一子方十餘嵗極諌不已曰以戰馬資鄰國已是失計今更以貨殺邉人則誰肯為我用者瑋聞其言私念之曰此子欲用其人矣是必有異志聞其嘗往來牙市中瑋欲一識之屢使人誘致之不可得乃使善畫者圖其貌觀之真英物也此子必須為邉患計其時節正在公秉政之日公其勉之□是時殊未以為然今知其所畫乃元昊也
新字:寳元中王忠穆公為枢宻使河西首領趙元昊叛上問邉偹輔臣皆不能対明日枢宻四人皆罷忠穆謫虢州翰林学士蘇公儀与忠穆善出城見之忠穆謂公儀曰□之此行前十年已有人言之公儀曰必術士也忠穆曰非也昔時為三司塩鉄副使疏決獄囚至河北時曹南院自陜西謫官初起為定帥□至定治事畢瑋謂□曰決事已畢自此当還明日願少留一日欲有所言旣愛其雄才又聞欲有所言遂為之留明日具饌甚簡倹食罷屛左右曰公満面権骨不為枢副即邉帥或謂公当作相則不然也然不十年必総枢柄此時西方当有警公宜預講邉備蒐閲人才不然無以応卒□曰何以見教曹曰瑋在陜西日河西趙徳明嘗使人以馬博易于中国怒其息㣲欲殺之莫可諌止徳明有一子方十余歳極諌不已曰以戦馬資鄰国已是失計今更以貨殺邉人則誰肯為我用者瑋聞其言私念之曰此子欲用其人矣是必有異志聞其嘗往来牙市中瑋欲一識之屢使人誘致之不可得乃使善画者図其貌観之真英物也此子必須為邉患計其時節正在公秉政之日公其勉之□是時殊未以為然今知其所画乃元昊也
書き下し
寳元中、王忠穆公、樞宻使と為る。河西の首領趙元昊叛く。上、邉偹を問う。輔臣皆な對うる能わず。明日、樞宻四人皆な罷む。忠穆、虢州に謫せらる。翰林學士蘇公儀、忠穆と善し。城を出でて之を見る。忠穆、公儀に謂いて曰く、□の此の行、前十年已に人の之を言う有りと。公儀曰く、必ず術士ならんと。忠穆曰く、非ざるなり。昔時、三司鹽鐵副使と為り、獄囚を疏決して河北に至る。時に曹南院、陜西より謫官せられ、初めて起ちて定帥と為る。□定に至りて事を治め畢わる。瑋、□に謂いて曰く、事を決すること已に畢わる。此れより當に還るべし。明日、願わくは少しく一日を留まれ。言わんとする所有らんと欲すと。既に其の雄才を愛し、又た言わんとする所有るを聞く。遂に之が為に留まる。明日、饌を具うること甚だ簡儉なり。食罷めて左右を屛けて曰く、公は滿面權骨なり。樞副と為らずんば即ち邉帥ならん。或いは公は當に相と作るべしと謂うも、則ち然らざるなり。然れども十年ならずして必ず樞柄を總ぶ。此の時、西方に當に警有るべし。公宜しく預め邉備を講じ人才を蒐閲すべし。然らずんば以て卒に應ずる無しと。□曰く、何を以て教えらるると。曹曰く、瑋、陜西に在りし日、河西の趙徳明、嘗て人をして馬を以て中國に博易せしむ。其の息の㣲なるを怒り、之を殺さんと欲す。諌め止むる可き莫し。徳明に一子有り、方に十餘歳。極諌して已まずして曰く、戰馬を以て鄰國を資くるは已に是れ失計なり。今更に貨を以て邉人を殺さば、則ち誰か肯えて我が用と為らんやと。瑋、其の言を聞き、私かに之を念いて曰く、此の子、其の人を用いんと欲するなり。是れ必ず異志有らんと。其の嘗て牙市の中に往來すと聞く。瑋、一たび之を識らんと欲す。屢々人をして誘致せしむるも得可からず。乃ち善く畫く者をして其の貌を圖せしめて之を觀るに、真に英物なり。此の子必ず邉患と為らん。其の時節を計るに、正に公の政を秉るの日に在り。公、其れ勉めよと。□是の時、殊に未だ以て然りと為さず。今、其の畫く所は乃ち元昊なるを知ると。
現代語訳
宝元年間、王曙が枢密使であった。河西の首領である趙元昊が叛いた。帝は辺境の備えについて尋ねた。輔佐の臣はみな答えられなかった。翌日、枢密の四人はみな罷免された。王曙は虢州に流された。翰林学士の蘇公儀は王曙と親しかった。城を出て見送った。王曙は蘇公儀に言った。「□の今度のことは、十年前にすでに言った人がある」。蘇公儀は「きっと方術の士でしょう」と言った。王曙は言った。「そうではない。昔、私が三司の塩鉄副使であったとき、獄の囚人を裁いて河北へ行った。当時、曹瑋が陝西から官を落とされ、はじめて定州の帥となったところだった。□は定州に着いて事を処理し終えた。曹瑋は□に言った。『事の処理はもう終わりましたな。これからお帰りになるはずだ。明日、どうか一日だけ留まってください。申し上げたいことがあります』。私はその雄才を敬っていたし、そのうえ言いたいことがあると聞いたので、それで留まった。翌日、出された食事はきわめて簡素であった。食べ終わると左右を退けて言った。『あなたは顔じゅうが権の骨相です。枢密副使にならなければ辺境の帥でしょう。あなたが宰相になるだろうと言う者もありますが、それは違います。しかし十年たたないうちに必ず枢密の柄を握る。そのとき西方に必ず警報があるはずだ。あなたはいまから辺境の備えを講じ、人材を集めて調べておくべきです。そうでなければ、急場に応じられません』。□は『何をお教えくださるのか』と言った。曹瑋は言った。『私が陝西にいたころ、河西の趙徳明がかつて人をやって馬を中国と交易させた。その利が少ないのに怒って、その者を殺そうとした。誰も諌め止められなかった。趙徳明には一人の子があり、まだ十歳あまりだった。その子が強く諌めてやめず、こう言った。「戦馬をもって隣国を助けるのは、すでに失策です。そのうえ商いのことで国境の民を殺せば、いったい誰が進んで我らのために働きましょう」。私はその言葉を聞いて、内心こう思った。この子は人を使おうとしている。これは必ず別の志があるだろう、と。その子がしばしば市場に出入りしていると聞いた。私は一度その顔を見たいと思った。たびたび人をやって誘い寄せようとしたが、できなかった。そこで絵の上手な者にその顔を描かせて見てみると、まことに傑物であった。この子は必ず国境の患いとなる。その時期を計算すると、ちょうどあなたが政を執っている日に当たる。あなたはどうか努めてください』。□はそのとき、まったくそのとおりだとは思わなかった。いま、その描かせた顔がすなわち趙元昊であったと分かった」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
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孫子・虚実篇その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。