宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
除兼侍講公語人曰國之本在君君之本在心人君之學當正心誠意以仁為體使邪僻浮薄之説無自而入然後發號施令為宗廟社稷之福豈務章通句解以資口舌之辯哉及在經筵進講必反覆開陳其説歸於人君可用而後止
新字:除兼侍講公語人曰国之本在君君之本在心人君之学当正心誠意以仁為体使邪僻浮薄之説無自而入然後発号施令為宗廟社稷之福豈務章通句解以資口舌之弁哉及在経筵進講必反覆開陳其説帰於人君可用而後止
書き下し
兼侍講を除せらる。公人に語りて曰く、國の本は君に在り。君の本は心に在り。人君の學は當に心を正し意を誠にし、仁を以て體と爲し、邪僻浮薄の説をして自り入る無からしめ、然る後に號を發し令を施して宗廟社稷の福と爲すべし。豈に章を務め句を通し解して以て口舌の辯を資くるを務めんやと。經筵に在るに及び、進講すれば必ず反覆開陳して、其の説の人君の用う可きに歸して而る後に止む。
現代語訳
兼侍講に任じられた。公は人に語って言った。「国の本は君にあり、君の本は心にある。人君の学は、心を正し意を誠にし、仁をもって本体とし、よこしまで軽薄な説がそこから入ってこないようにし、そのうえで号令を発して宗廟社稷の福とすべきものだ。どうして章を追い句を通して解し、口舌の弁を助けることに努めようか」。経筵にあっては、進講するたびに必ず繰り返し説き開いて、その説が人君の用いうるところに帰着してからやめた。
解説
経書の講義を、何のためにするかを決めています。退けたのは、注釈そのものではありません。**章を追い句を通して解し、口舌の弁を助ける。**議論に強くなるための学問です。求めたのは、判断を通す道を作ることでした。**よこしまで軽薄な説がそこから入ってこないようにし。**そして講義の切り上げ方に、それが現れています。**その説が人君の用いうるところに帰着してからやめた。**
この章句が説くこと
国の本は君に在り君の本は心に在り人君の学は当に心を正し意を誠にし仁を以て体と為すべし豈に章を務め句を通し解して以て口舌の弁を資くるを務めんや進講すれば必ず反覆開陳して其の説の人君の用う可きに帰して而る後に止む経筵心
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