宋名臣言行録 / 前集巻五・李迪
公罷陜西都轉運使還朝時真宗方議東封西祀修太平事業知秦州曹瑋奏羌人潛謀入冦請大益兵為備上大怒以瑋虛張敵勢恐喝朝廷以求益兵以迪新自陜西還召見示以瑋奏問其虚實欲斬瑋以戒妄言者迪因奏曰瑋良將必不妄言臣觀陛下意不欲從鄭州門出兵耳秦之旁郡兵甚多可發以戍秦臣在陜西籍諸州兵數為小冊常置鞶囊中以自隨今未敢以進上曰趣取之迪于鞶囊取以進上指曰以某州某州兵若干戍秦州卿即傳詔樞宻院發之既而敵果大入冦瑋迎擊大破之遂開山外之地奏到上喜謂迪曰山外之捷卿之功也
新字:公罷陜西都転運使還朝時真宗方議東封西祀修太平事業知秦州曹瑋奏羌人潜謀入寇請大益兵為備上大怒以瑋虚張敵勢恐喝朝廷以求益兵以迪新自陜西還召見示以瑋奏問其虚実欲斬瑋以戒妄言者迪因奏曰瑋良将必不妄言臣観陛下意不欲従鄭州門出兵耳秦之旁郡兵甚多可発以戍秦臣在陜西籍諸州兵数為小冊常置鞶嚢中以自随今未敢以進上曰趣取之迪于鞶嚢取以進上指曰以某州某州兵若干戍秦州卿即伝詔枢密院発之既而敵果大入寇瑋迎撃大破之遂開山外之地奏到上喜謂迪曰山外之捷卿之功也
書き下し
公、陜西都轉運使を罷めて朝に還る。時に真宗、方に東封西祀を議し、太平の事業を修む。秦州を知る曹瑋、羌人の潛かに入冦を謀るを奏し、大いに兵を益して備えと為さんことを請う。上大いに怒る。瑋の虚しく敵勢を張り、朝廷を恐喝して以て兵を益すを求むと以てす。迪の新たに陜西より還るを以て、召見して示すに瑋の奏を以てし、其の虚實を問う。瑋を斬りて以て妄言する者を戒めんと欲す。迪、因りて奏して曰く、瑋は良將なり。必ず妄言せず。臣、陛下の意を觀るに、鄭州門より兵を出だすを從わんと欲せざるのみ。秦の旁郡、兵甚だ多し。發して以て秦を戍る可し。臣、陜西に在り、諸州の兵數を籍して小冊と為し、常に鞶囊の中に置きて以て自ら隨う。今、未だ敢えて以て進めずと。上曰く、趣かに之を取れと。迪、鞶囊に於て取りて以て進む。上指して曰く、某州・某州の兵若干を以て秦州を戍らしめよ。卿、即ち詔を樞宻院に傳えて之を發せよと。既にして敵果たして大いに入冦す。瑋迎え擊ちて大いに之を破る。遂に山外の地を開く。奏到る。上喜びて迪に謂いて曰く、山外の捷は卿の功なりと。
現代語訳
公が陝西都転運使を辞めて朝廷に帰った。当時、真宗はちょうど東封西祀を議し、太平の事業を進めていた。秦州の長官の曹瑋が、羌人がひそかに侵入を謀っていると奏上し、大いに兵を増やして備えとするよう求めた。帝はひどく怒った。曹瑋が敵の勢いを大げさに言い立て、朝廷を脅して兵を増やそうとしていると考えたのである。李迪が陝西から帰ってきたばかりだったので、召し出して曹瑋の上奏を見せ、その虚実を尋ねた。曹瑋を斬って、でたらめを言う者への戒めにしようとした。李迪はそこで奏上して言った。「曹瑋は良い将です。でたらめは申しません。臣が陛下の御意を拝察しますに、鄭州門から兵を出すのを承知したくないというだけのことです。秦州の近隣の郡には兵がたいそう多くおります。それを出して秦州を守らせることができます。臣は陝西にいて、諸州の兵の数を書き留めて小冊子にし、いつも帯の袋に入れて持ち歩いております。いまはまだ差し出しておりません」。帝は言った。「すぐにそれを取り出せ」。李迪は帯の袋から取り出して差し出した。帝は指して言った。「某州と某州の兵、何名かを秦州の守りに当てよ。卿はすぐに詔を枢密院に伝えて出兵させよ」。ほどなく敵ははたして大挙して侵入した。曹瑋は迎え撃って大いに破った。そこで山外の地を開いた。上奏が届いた。帝は喜んで李迪に言った。「山外の勝利は卿の功だ」。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公元年 垂櫜して入る小國恃みを失ひて、諸侯を懲らさば、憾みざる者莫からしめ、君命に距違して、壅塞して行はれざる所有らんことを是れ懼る。然らずんば、敝邑は館人の屬なり。其れ敢へて豐氏の祧を愛しまんや」と。伍舉其の備へ有るを知るなり、請ふ櫜を垂れて入らんと。之を許す。正月乙未、入りて逆へて出づ。遂に虢に會す。宋の盟を尋ぬるなり。祁午趙文子に謂ひて曰く、「宋の盟に、楚人晉に志を得たり。今令尹の不信、諸侯の聞く所なり。子戒めずんば、懼らくは又宋の如くならん。子木の信、諸侯に稱せらるるも、猶ほ晉を詐りて駕す。況んや不信の尤なる者をや。楚重ねて晉に志を得ば、晉の恥なり。子晉國に相として、以て盟主と為ること、今に於て七年なり。再び諸侯を合し、三たび大夫を合し、齊・狄を服し、東夏を寧んじ、秦の亂を平らげ、淳于に城く。師徒頓れず、
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『家道訓』巻之二・総論中一もろこしの諺に、かねて後の用心なきことをそしりて曰、三月に桑をうゑんことをおもひ、六月に塘を掘らんことをおもふ。言ふ意は、三月蠶を飼ふ時にいたりて、はじめて桑をうゑんことをおもひ出し、六月旱する時にいたりて、はじめて塘を掘らんことをおもひ出すは、かねて後の用心をせざる人のゆだんなる事をいへり。遠き慮なければ、必ず近き憂あり。家ををさむるには、万のこと後を慮りて、かねてはやく其の用意をすべし。如此すれば、時にのぞみてにはかに行きあたりくるしまず。中庸にも、凡事前に定むれば不跲といへり。初にうれへざれば、をはりに楽なし。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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